平成27年も精一杯、心を込めて、願いを込めてメッセージをお届けさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
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「日本を取り戻す」との安倍首相の
決意
期待す
                      
                      田澤昭吾
 昨年12月14日は、475議席を巡っての衆院選挙が行われ、安倍首相が率いる自由民主党がその内291議席を獲得した。連立を組んでいる公明党は35議席だから、それを含めると326議席を与党・安倍政権が獲得したことになる。これによって、参院で否決された法案を再可決できる3分の2(317議席)を上回る議席獲得となった。
 安倍首相は、2012年に12月に「戦後レジームからの脱却」を訴え政権を奪還し、この時の所信表明では、なぜ首相になったかという決意を「国家国民のために、再び我が身を捧げんとする私の決意の源は、深き憂国の念にあります。危機的状況にあるわが国の現状を正していくためには為さねばならない使命があると信じるからである」と表明した。
 そして。安全保障問題については「この内閣の元では、国民の生命・財産と領土・領海・領空を断乎として守り抜いていくことをここに宣言します。強い日本を造るのは他の誰でもありません。私達自身です」と、力強く表明しました。
 平成26年12月14日の衆院議員選挙の主唱は、「日本を取り戻す」と訴え、選挙活動を進めた。「アベノミクス」の信を国民に問う選挙だと謳いながらも、その主張の一つとして「戦後教育は自虐史観を蔓延させ、日本人から誇りと自信を奪った。南京大虐殺や(朝鮮人の)慰安婦強制連行を流布され、父祖の名誉が傷つけられて、それに迎合する人々もいる。中国は軍拡を進め、国際ルールを無視して海洋進出を図ろうとしている。そのためには、憲法九条を改正し、領海死守の備えが必要である」と訴え戦った選挙でもあった。
 この戦挙に自由民主党は圧勝したのだ。憲法改正案は衆参両院で各々三分の二以上の議員の賛成多数で可決し、その改正の是非を国民投票で問い、過半数を獲得すれば、憲法は改正されることになる。
 自由民主党は、自主憲法制定を謳って立党した政党だから、憲法改正は党是だ。これからの安倍政権は、アベノミクス(金融緩和政策、財政出動政策、民間の成長戦略)の達成に向かって経済政策を進めると同時に、憲法改正に向かっても具体的な活動を展開していくであろう。
 最近読んだ『知られざる日本国憲法の正体』(著者吉本貞昭)に多いに啓発された。その中の『第十章「日本国憲法」はなぜ改正しなければならないか』には、心が躍動した。次に要約してみる。
 徳川三百年の幕藩体制から明治維新を経て、天皇中心の立憲君主国家として国家体制を整えたのは、明治22年11月29日に発布された明治憲法下に入ってからだ。憲法制定に当たっては、伊藤博文が明治15年に欧州各国を視察し、広く学んできたことを踏まえてのことだ。
 その学びの中で、最も影響を受けたのはベルリン大学の歴史法学の大家グナイスト教授とウィーン大学のシュタイン教授だった。
 グナイスト教授は、憲法編纂に当たって「法は民族精神の発露である」という歴史法学の立場から、「憲法は法文でない。精神であり、国家の能力である」と講義し、日本が憲法を起草する適切なアドバイスをしてくれた。
 シュタイン教授も、「ヨーロッパの法制度をまねて日本の法を制定しても、それは単なる外国法の引き写しでしかない。大事なのは、古来の日本の歴史に徴(ちよう)し(問いただし)、これを今の日本の実状に照らし、かつ広くヨーロッパの学問を学んだことを接ぎ木していくことだ」と講義し、「日本の立法や憲法はなにより日本の歴史と文化に根ざしたものでなければならない。まず、日本の歴史を研究せよ」と説いた。
 これを日本に当てはめて考えれば、日本の憲法は、日本という国柄を無視して憲法を議論することは無意味だということだ。なぜなら「法(憲法)は民族精神の発露である」だからだという。
 伊藤博文は、グナイスト教授とシュタイン教授から、「法は民族の精神・国民精神の発露である」との指導を受け、併せて、憲法は、各々の民族性、歴史、文化的伝統等にマッチしなければならないということを学び、日本史の研究という課題も与えられ帰国した。
 そして、帝国憲法起草者は、日本の国柄の上に憲法が成りたつべきだという考え方にたって草案し、近代憲法・明治憲法が制定された。 
 日本国憲法は、敗戦後に占領軍として乗り込んできた連合国軍総司令部(GHQ)民政局のニューディラー達によって、西洋諸国の政治思想を入れることを重視し、日本的な要素をできるだけ排除する方針で寄せ集められ、作られた。つまり、日本という視点が欠落した憲法として制定されたのだ。
 勿論、その根柢には、占領政策の基本方針「日本がアメリカと他の太平洋諸国に対する脅威となることを防止する」、「日本に他国の権利と国際義務を尊重する政府を確立すること」があったことは言うまでもない。彼らの草案した憲法は、この二つの基本目標を達成するために制定されたということは推測を待たない。しかも、日本は占領当初に主権がなく、最終的にはGHQの言われるがままに従うしか選択の方途がなかった。こうした時代背景の産物としての日本国憲法が成立したのである。
 憲法の草案は「マッカーサーノート」を基本に民政局によって9日間で作成され、昭和22年5月3日に国会で成立した。こうして戦後の日本国憲法はできたのである。
 そういう意味では、日本国憲法の成立の経緯と精神は、明治憲法成立の経緯と精神とは全く真逆な形で、GHQ民政局によって制定されたといっても過言ではない。
 ハーグ陸戦法規国際法には、「占領軍は占領地の現行法律を尊重しなければならない」と規定されている。この国際法によると、連合国軍総司令部の中心を占めていたアメリカが、日本の占領政策を進めていく中で明治憲法を廃止し、「マッカーサーノート」の方針によって連合軍総司令部民政局が作成した草案を日本国憲法として国会で成立させたという事実は、ハーグ陸戦法規国際法に抵触していることになろう。この考えが正しければ、日本国憲法は無効だということになり、明治憲法を復活させなければならないと、私は考える。但し、この判断・見解は、専門家に委ねるしかあるまい。
 占領当初は、ハーグ陸戦法規国際法も、連合国軍総司令部の前には何ら効力を発揮することが出来なかったということであろう。強いて言えば、極東国際軍事裁判(「東京裁判」)で判事11名の中の1人として名を連ねたインドのパール判事だけが、戦勝国が敗戦国を裁くという文明史にない東京裁判の不当性を、「(この裁判は)法律的外貌はまとっているが、実は、ある政治目的を達成するために設置された政治機関」であるとし、A級戦犯被告者25名全員は無罪であるという判決文を提出したことだけが、日本にとって唯一の救いであった。 
 つまり、パール判事は、東京裁判はいかなる国際慣習及び条約によったものでもなく、裁判に値しないものである、従ってこの裁判は無効で在り、被告全員は無罪であるという意見を判決文として提出したのだ。この時、裁判を仕組んだ連合国と進駐軍司令部の驚きと狼狽は、言語に絶したと言われている。
 しかし、ウェッブ裁判長は、裁判法規を無視して、パール判事の判決文を法廷で朗読することなく、「記録にとどめる」ということだけで終わらせてしまい、昭和23年11月12日、東京裁判の幕を閉じた。そして、昭和23年12月23三日未明、東條英機等7名が巣鴨拘置所内の刑場で絞首刑にされ、2名の被告は7年と20年の禁固刑、他の16名の被告は終身禁固刑に処せられた。
 GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策が敷かれた当初は、「日本を裁け」という狂気社会の真直中だったが、その中でパール判事だけが東京裁判に臨むに当たって、この裁判が国際法に照らして真実の裁判であるかどうかをも含めて帝国ホテルの一室にこもり研究し、「日本の近世から現代にいたる歴史の研究」と「東京裁判に関連するありとあらゆる資料をあさり、調査に専念」し、英文にして1,175頁、日本語にして100万語に及ぶ膨大な判決文としてまとめた。そのために読破した資料は2年間で4万5千部に達し、参考書籍は3千冊に及んだと言われる。まさに超人的な努力で判決文を完成させ、ウェッブ裁判長に提出したのです。
 しかし、その判決文は公表されることなく4年間、書庫深くに埃をかぶったままにされ、世に出たのは昭和27年4月28日のサンフランシスコ講話条約の効力が発し、日本が晴れて独立した後のことであった。
 日本は、昭和27年4月28日のサンフランシスコ講和条約の施行で独立し、国際社会に復帰できた事を契機に、連合国軍総司令部によって制定させられた日本国憲法を見直す事に着手すべきだったのに、それを怠ってきた当時の吉田茂政権の責任は大きいと思う。経済優先を戦後日本の政策の中心に据え歩んできたことは、確かに現在の経済発展を生みだす契機になったかも知れないが、併せて、憲法改正の施策も並行して進めていくべきだったと思う。そこが悔やまれるところだ。
 こうした経緯があったためか、自由民主党は昭和30年11月15に立党宣言し、「党の使命」の一つとして「現行憲法の自主的改正を始めとする独立体制の整備を強力に実行し、もって、国民の負託に応えんとするものである」と掲げ、更に、「党の綱領」の一つに「独立体制の整備」として「現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う」と謳い、日本の保守政党として政治活動を展開してきた。そして、政権与党として盤石な体制を、紆余曲折しながらも、今日まで築いてきた。 こうした状況下の中で、安倍政権はこの度の選挙で圧勝し、憲法改正について着手していく方針を提示し再スタートした。
 これから、日本国憲法はどうあるべきかを、「憲法は民族精神の発露である」として制定された明治憲法の精神と比較しながら、考えて見るべきであろう。(平成27年1月14日・記)