謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
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これでいいのか、日本! (その1)
                      l理事長 田澤昭吾
  中国の「日本が盗んだ尖閣諸島」に一言申す
 
  8月15日を前に、日本列島は40度を越す暑い夏日に見舞われ、過去に経験したことがないという異常気象と
集中豪雨で、各地が洪水や土砂崩れで、これまでにない死亡者の数となった。
   こうした自然からの仕打ちばかりでなく、日本は、戦後初めてといって良いほどに、中国からは尖閣諸島、韓国からは竹島をめぐってパッシングを受けています。
  両国は、何れも「中国の領土だ」、「韓国の島だ」と一方的に叫び続け、日本に迫り続けています。そうした両国の主張に一言申し伝えたいと思います。
 今年は、68回目の終戦記念日を迎えました。
 日本の平和と繁栄を願い、子孫にその将来を託して亡くなっていった英霊に心から御魂鎮めを願い、新たる誓いを込めて本稿をお届けしたいと思います。神惟霊幸倍坐世 神惟霊幸倍坐世 神惟霊幸倍坐世
               ○                   
 産経新聞に掲載されている、中国に関する記事です。
 5月26日、ドイツを訪問していた中国の李克強首相がポツダムで、「日本は中国から盗み取った領土を返還しなければならない」と演説したそうです。これは、尖閣諸島を念頭に置いた発言と見られるので、菅義偉官房長官は、「歴史を無視した発言と」と批判しました。当然のことだと思います。
 また、李首相はポツダム宣言について、「日本が盗み取った中国東北地方や台湾などの島嶼を中国に返還すると規定したカイロ宣言の条件を必ず実施すると指摘している。これは、数千万人の生命と引き換えにした勝利の成果だ」と、強調したそうです。
  また、カイロ宣言(1943年)の中身にも言及し、その宣言文の中に、日本国が清国人より盗取した全ての地域を中華民国に返還することと規程しているので、清国より盗取したという地域には台湾も含めてあるから、ポツダム宣言でカイロ宣言を履行しろということは、尖閣諸島が台湾の付属島嶼だから、カイロ宣言とポツダム宣言によって尖閣諸島は中国に返還されるべきものだ、という論拠のようです。
   それを、日本が国有化しているので、「日本が盗んだ」という演説を、李首相、そして、昨年九月に国連総会で演説した中国の楊外相も言ったようです。しかし、尖閣諸島が台湾の付属島嶼だった事実は、歴史的にないのです。
 カイロ宣言とは、イタリアが無条件降伏した1943年にイギリスのチャーチル、アメリカのルーズベルト、中国の蒋介石の三人によって開かれた会議の取り決めです。
  カイロ宣言の中には、日本が第一次世界大戦で取得した中国の領土を全部中国に返還しろと、確かに書いています。その後のポツダム宣言では、カイロ宣言を履行しろとも書かれています。
 中国は、カイロ宣言とポツダム宣言の中で示している、日本が得た中国の領土を返せと言っているわけです。
    どうして、その主張の中に尖閣諸島が含まれ、島を返せと言うのかというと、尖閣諸島は台湾の付属諸島嶼だからだと言うのが主張の根拠です、さっきも言ったように尖閣諸島は台湾割譲以前に日本の沖縄県に編入しており、その手続きは国際法上適正な手続きであったのですから、中国からなんやかんやと文句を言われる筋合いはありません。
  戦後の日本の領土は、1952年4月28日に施行されたサンフランシスコ講和条約によって確定しました。講和条約では、日清戦争で割譲受けた台湾を放棄させられましたが、尖閣諸島は台湾を割譲する以前に、既に日本が閣議決定で沖縄県に編入しています。それは、当時、尖閣諸島は、どこの国にも属しておらず、国際法上適正な手続きによって編入したものです。
  サンフランシスコ講和条約の中の「返還すべき日本が得た領土」の中には、尖閣諸島は入っていないのです。あくまでも尖閣諸島は、国際法上も沖縄の所属の島であると理解されているのです。それを、中国は、尖閣諸島は台湾のものだと主張してますが、そうした歴史的根拠・資料はないのです。
 尖閣諸島を巡っては、中華民国との間で、こんな美談もあります。
  1919年大正8年に、尖閣諸島の魚釣島付近で遭難した当時の、中華民国福建省漁民31人を、魚釣島に住んでいた日本人が救助し、母国へ全員無事に帰国させたことがありました。このことに対して、中華民国駐在長崎領事から、救助とした豊川善佐氏ら四人に対して感謝状が贈られているのです。
  この感謝状には、遭難した場所が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣諸島」と明記されています。その感謝状は歴史的資料として、現在も残っています。こうした歴史的事実を無視して、尖閣諸島は台湾の付属島嶼だったというのは、とんでもない言いがかりだと思います。
 産経新聞平成25年7月17日の紙面には、江戸時代の1561年、明の皇帝が琉球王朝に派遣した使節・郭汝霖に上奏文を託したこと、及び、その上奏文の中に「琉球」と明記されていることが、石井望・長崎純心大学准教授の調査で分かったという記事が掲載されていました。新聞では、これで「中国は尖閣諸島を『明代から中国の領土で台湾の付属島嶼だった』と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる」と報道していました。上奏文とは、天皇・皇帝に意見・報告などを申し上げる文書、ということです。
 上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』で、このうち、帰国後に琉球への航海中の様子を上奏(報告)した文に、「行きて閏五月初三日に至り、琉球の境に渉(入)る。界地(境界)は赤嶼(大正島)と名づけられる」と記しているそうです。
 現在、中国は、大正島を「赤尾嶼」と呼んでいるそうです。
  石井教授は、前記の文を「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘しています。
  この記事からすると、明王朝は、琉球王朝を独立した国として書簡を送り、交流をしているということが理解されます。尖閣諸島の大正島は、琉球の付属島嶼として既に明の時代から認められていたのです。それを、どうして台湾の付属島嶼などと中国は言い出せるのでしょうか。奇々怪々です。
   この他に、石井准教授の調査では、清から1683年に派遣された琉球使節・汪楫が道中で詠んだ漢詩に「東沙山を過ぐればこれびん山の尽くるところなり」(現在の台湾・馬祖島を過ぎれば福建省が尽きる)とあったことから、当時、中国は、大陸から約15キロしか離れていない島までしか認識していなかったということが分かった、というのです。
    また、その後、勅命で編纂された清の地理書『大清一統志』にも、台湾の北東端を「鶏籠城」(現在の基隆市)」と定めていたことが、すでに下條正男・拓殖大学教授の調べて明らかになっています。
  それに対して、外務省情報文化局は、「尖閣諸島について」のパンフレットを作成し、その中で、なぜ中国が尖閣諸島の領有権を主張しはじめたかについて、当時の外務省の見解を簡潔にまとめ、述べていますので、紹介します。
  「昭和43年(1968年)秋、日本、中華民国、韓国の海洋専門家が中心となり、エカフェ(国連アジア極東経済委員会)の協力を得て、東シナ海一帯にわたって海底の学術調査を行った結果、東シナ海の大陸棚には、石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘されました。これが契機となって、尖閣諸島がにわかに関係諸国の注目を集めることになりましたが、さらにその後、中国側が尖閣諸島の領有権を突然主張しはじめ、新たな関心を呼ぶこととなりました。」
  「中華民国政府が公式に尖閣諸島に対する領有権を主張したのは昭和46年(1971年)4月が最初であります。他方、中華人民共和国も同年12月以降尖閣諸島は中国の領土であると公式に主張しはじめました。」
「このように、尖閣諸島の領有権問題は、東シナ海大陸棚の海底資源問題と関連して急に注目をあびた問題であり、それ以前は、中国を含めてどの国も尖閣諸島がわが国の領土であることに意義をとなえたことはなかったのです。」
  これまで歴史的経緯や法的手続きをみてきたように、「エカフェ報告書」が発表されるまでは、何れの際にも日本の尖閣諸島領有に意義をとなえた国はありませんでした。
(『日本固有の領土・尖閣を守れ!』・「Q7なぜ、中国は尖閣を中国領と言い出したのですか?」より)
※エカフエ報告書(1968年)
  「海底面は1.5%の有機物を含み…今日石油資源が埋蔵されているのはほぼはっきりしている。…大陸ダナには主に第3紀の沈殿物が約300立方平方キロもあり、世界で最も豊富な石油資源の一つになるかもしれない。」

 この外務省の見解で、尖閣諸島領有権問題は一目瞭然、理解できると思います。それに、石井準教授の学術的調査結果のような古文書の資料が明らかになってくれば、反論のしようがないと思うのですが、今後どのような展開を中国、台湾はしてくるつもりなのでしょうか。
 歴史的事実を改ざんして、中国が尖閣諸島の領有権を主張しても、台湾も同様に主張しても、それは、嘘に嘘を重ねていくことにしかならない、ということに気付かなくては、両国の品格が国際世論の指弾を浴び、益々その信頼性が問われる結果にしかにならないと思うのですが…。
  それを、1971年12月、中国外務省は、「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものでなく、台湾の付属島嶼だった」と声明を発表し、尖閣諸島領有権の正当性を主張しています。
  石井準教授は、こうした中国の発言に対して、「中国が尖閣諸島を領有していたとする資料はどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島が琉球だと認識した資料があったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘してます。
  それでも、中国は、東シナ海の大陸棚海底資源確保を果たしていくために事実を歪曲し、野望を果たしていくつもりなのでしょうか。しかし、石井准教授の調査がすでに発表されてしまった現在、これに対してどう対処していくつもりなのでしょうか。成り行きに、目を光らせていきたいと思います。
 6月9日、NHKテレビで放映されたニュースによれば、1972年5月に沖縄が本土復帰される前の1971年6月7日、ホワイトハウスで交わされていたニクソン大統領と安全保障担当のキッシンジャー補佐官、国際経済担当のピーターソン補佐官の三人が、尖閣諸島を日本に返還すべきか、台湾にすべきかの議論をしている録音記録が見つかり、その内容が報道されていました。
  議論では、まずピーターソンが、「日本にとって尖閣諸島はそんなに重要なものなのか。最優先の重要事項と言えるのか」と、尖閣諸島を日本に返還することに対して、鋭く反対していました。
  この背景には、当時、台湾からアメリカへ輸出される安い繊維製品を食い止めようと、アメリカは輸出削減の貿易交渉を台湾としていました。その台湾が、尖閣諸島を日本に返還しないようにアメリカに求めていたのです。そして、ピーターソンは、更に、大統領に進言します。
  「大統領、(台湾との)繊維問題を解決するのは日本ではない、その周辺の国だ」と。
  そして、ニクソン大統領は、尖閣諸島を台湾に渡せばいい、とも発言していました。もちろん、そのことによって台湾からの繊維製品の輸入が削減されれば、アメリカが進めていた貿易交渉がうまく運ぶことになるからです。
それに対して、キッシンジャーは反論します。
  「尖閣諸島は日本に返されるべきものだ。返還しなければ日本が自分のものだと思っている島を、繊維を巡る交渉をまとめるために台湾に与えるように見られてしまう」と。
 そして、尖閣諸島を含めた沖縄をアメリカ統治下に置くことにしたサンフランシスコ講和条約に触れ、「条約に関しては具体的な境界線を宣言したとき、われわれは尖閣諸島を含めたが、それに対して異議はなかった。その時点で話に決着はついている」と、述べていました。
 最終的にニクソン大統領は、それもそうだな、ということで、キッシンジャー補佐官の意見を取り入れ、10日後の6月17日、日米両政府は沖縄返還協定に調印し、翌年5月に尖閣諸島は沖縄本島などと一緒に、日本へ返還されることになったということです。
  このことついて、日米外交史専門の増田弘氏(東洋英和女学院大学教授)は、「尖閣諸島の返還に関して、キッシンジャー補佐官が、日本への返還に決定的な判断を下していた経緯を示す貴重な資料だ」と、話していました。
 このワシントンでの議論は、新聞にも大きく報道されていますが、戦争に負けた国の立場の悲哀を感じます。アメリカの利益のために、日本は利用されるだけの存在だということが、この会話で理解できましたから。それだけに、キッシンジャー補佐官に感謝です、と思いました。外交は力であるが、人物によって力は正義・道理にもなり、人によっては力を持つ国中心の利害関係の道具とも化すということです。日本人は、しっかりと覚えておくべきでしょう。
 尖閣諸島に関する中国の主張する一つ一つがでたらめだと言うことは、これから立証されていくと思うのですが(そう、信じたいと思っています)、日本の外交力が中国にどう通じていくのか、今は分かりません。
 中国は、「尖閣諸島は中国のものだ」と声高に叫び続けています。しかし、「中国のものだ」という主張だけで、根拠を示しているわけではありません。そして、毎日のように尖閣諸島海域に船艦を繰り出し、領海侵犯を平然と行っています。領海区域から出るように日本の巡視艦が注意すれば、「ここは中国の領海だ」と開き直っているのが現状なのです。
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れでいいのか、日本! (その2)
  韓国の「原爆投下、神の懲罰」に一言申す                  
  
  韓国が攻めてくる竹島問題について、最近の動きから一言申したい。
 「拳を振り上げ…絶叫」「日本人学者ら竹島に上陸」との見出しの記事で、日本人学者ら3人が、5月23日、「竹島は韓国のもの」と叫んで、「竹島に反対する市民の集い」という韓国民族団体30人と上陸したと、5月24日の産経新聞に掲載されていました。
  記事によると、韓国の報道は、「良心的日本人として大々的に報じた」そうです。これには、私もビックリしました。韓国の反日愛国者に日本人の反体制派の学者が協力し、「独島は韓国の地だ」と一緒に拳を振り上げて叫んだら拍手喝采を浴びたと、韓国で報道されているのですから。その3人には、日本人として疑問を抱きます(その中の一人は、青森県の僧侶でした)。ただ、1人の研究者だけは、「私は研究のために(日本から)きた。島(竹島)が、韓国領とは言いきれない」と、自分の学問的立場を主張し、韓国民族団体の「独島は韓国の領土」の英文で書いたイベント用のシャツの着用を拒否したら、その日本人研究者だけが鬱陵島から竹島行きの船に乗船するのが断られ、竹島へ行けなかったそうです。韓国は、こうした「独島観光」で、愛国心高揚を図っているようです。昨年は、20万人以上が竹島へ上陸したそうです。
 これでは、当然、韓国で反日感情が高まっていくはずです。
  以前、北海道教職員組合は、教職員の研修会で「竹島は韓国の領土だ」という資料を配布し、研修をしたことがあります。さっきの日本人3名は、この人達と同じ考えの人達なのかも知れません。「日本列島は、日本だけのものでない」と言ったのは鳩山由起夫元首相でしたが、自分の祖国の祖先や先人を平気で悪玉に仕立て上げ批判し、罵倒し、祖国を侵略国家だと言っては正義者ぶっている輩が大手を振ってまかり通っている戦後日本の風潮は、何かおかしいと、常々思い、感じてきましたが、やっぱり、さっきの日本人3人の行動については、何かおかしい、と思わざろう得ません。
 韓国の動きとしてもう一つ紹介します。
 韓国の中央日報が、アメリカが日本の広島と長崎に原爆を投下したのは、「神の懲罰」だとする記事を掲載しました。勿論、在韓国日本大使館は、5月23日、同紙に抗議しました。 中央日報は、20日のコラムの記事でこのことを扱ったようで、筆者は韓国では優れたジャーナリストの一人と評されているキムジン論説委員でした。
 彼は、安倍首相が東日本大震災の被災地視察で航空自衛隊松島基地を訪問した際、操縦席に座った空自機の番号が「731」だったことを取りあげ、細菌兵器を研究したとされる旧日本陸軍の部隊名称と同一だとして非難し、日本の反省が足りない、と主張していました。 さらに、アメリカ軍のB29による日本への大規模空襲や原爆投下は、神による「過酷な刑罰」だとしたうえで、第二次大戦末期のドイツ・ドレスデンへの空襲を「ユダヤ人の復讐だ」とし、広島、長崎への原爆投下はそれと同じで、「日本軍国主義へのアジア人の復讐だった」と主張しています。
 原爆の閃光の下で繰り広げられた非戦闘員への大規模な虐殺という人類史上最も非人道的な爆撃行為を、日本の「国家を改造して歴史を変えた」と支持し、「日本に対する火雷(爆撃)が足りないと判断するのも神の自由だ」と、アメリカ軍の日本民間人への空爆を肯定し、記事を締め括っています。
 日本への原爆投下は、「アジアへの侵略に対する、アジア人の復讐だった」という主張は、無責任窮まりない発言だと憤りを感じます。しかも、原爆投下を肯定する言葉として「神の懲罰」という言葉を使ったのは、日韓併合から独立後、アメリカの支援で発展し、思想・宗教もキリスト教化されてきた中で育ってきた韓国人らしい書き方だとも感じました。
 しかし、安易に「神の懲罰」という言葉を、民間人の大量虐殺を行ったアメリカを肯定する言葉として用いたのは、敬虔なるキリスト教徒にとっては侵害だったと思います。
 この記事に対しては、記事は個人的見解であって「中央日報の公式立場ではない」と、同紙の広報担当者が談話を発表したそうですが、記事の謝罪や反省、訂正の表明もありませんでした。
 旧約聖書には、「らい病人」「らい病やみの」という言葉があり、それはヘブライ語のツァーラハトという言葉の訳語でした。意味は、律法を犯したために「神から加えられたひと打ち」、と解釈されていました。つまり、らい病は天罰による病とされてきた歴史が、旧約聖書の中にあったのです。
 時を経て、1873年、ノルウェーのアルマウエル・ハンセン博士によってらい病の病原菌が発見されてからは、遺伝病とされてきたらい病が伝染病であると判明されるようになりました。
 先ほどの、日本に対する原爆投下を「神の懲罰」と解し執筆したキムジン論説委員は、旧約聖書に記されてきた「ツァヘラハト」の意味と重ねて日本を批判したのかどうかはわかりませんが、日本に対する原爆投下を、「神の懲罰」というキリスト教的用語をもって正当化し、その犠牲となった民間人約20万人(同年12月末)の人達が地獄絵図そのままという悲惨な光景を繰り広げながら亡くなったことに対し、何の痛みも感ぜず、平然と「お前達は神の罰を受けたのだ」とあざけり笑っていれるジャーナリストには、その資質を問いたくなります。
 しかも、アメリカの広島、長崎の原爆投下は、原爆の威力をソ連を含めた戦後世界に対して、「俺たちの言うことを聞かないと、日本のようになるぞ」と言うような威嚇することが狙いだったのです。そして、「原爆を保持したアメリカだけが、自分の好きなパターンに世界を作ることできる」という野望達成の手段だったのです。つまり、広島、長崎への原爆の投下は、原爆の威力をソ連を含めた世界に対して示す、アメリカの実験だったのです。今では、このことは周知の事実として知られるようになってきました。ですから、これまでのアメリカの主張だった、戦争終結を早めるためのものであったとか、日本上陸作戦を敢行したら百万人のアメリカ兵が犠牲になることを防ぐためであったとかというのは、真実の理由ではありません。それは、原爆投下を正当化させようとするための偽善なる理由付けだったのです。
(教育社発行。A.マキジャニ/J.ケニー共著・関 元訳『原爆投下のシナリオ』参照)
 このことについては、「プラトン」「JFK」などの人気作品で知られるアメリカの映画監督・オリバー・ストーン氏が、8月上旬のNHKテレビのニュースで、アメリカが広島・長崎に投下した原爆につついて、「アメリカの原爆投下は、原爆の威力をソ連を含めた世界の対して示す威嚇行為であり、ソ連を牽制するものであった」」「アメリカが原爆を日本に投下しなくても、黙っていても戦争は終わっていた」と発言していました。これらのことは前述の著書にも記されており、アメリカ軍は、12月末までに日本は力つき、戦争は終わると、予測を立てていたのだそうです。であれば、原爆を日本に投下しなくてもよかったのに、と思いますが、それが新たな世界秩序を構築しようとする大国の国際政治の在り様だったのです。
 1945年8月6日夕刻、マンハッタン計画に参画していた科学者は、ロス・アラモス研究所に集まり、広島の原爆投下の成功を聞きました。その場にいた300名の研究員は、歓声を上げ、足を踏みならし、喜びました。しかし、その彼らは、後に被爆地の惨状を知り、深い罪悪感にさいなまれたのも事実です。原爆の生みの親として知られるロス・アラモス研究所長のオッペンハイマー博士は、1945年暮れのアメリカ議会で、「科学の成果は時に人類のためにならない。核兵器は国際監視の必要性がある」と強調し、核兵器の制限を訴えたそうです。
 中央日報のキムジン論説委員の記事は、原爆を神の聖霊と置き換えて理解したのであれば、愛を説く敬虔なキリスト教徒の人達にとっては、いい迷惑な記事であったと思います。
 何れにしましても、日本と中国、韓国との間には、尖閣諸島、竹島を巡って小競り合いが続き、なかなか大人としての話し合いが出来ずにいるというのが現状です。中国、韓国も、もっと成熟した国家となって欲しいと思います。国内の経済問題の不調和音・不平を逸らす
ために日本を敵に仕立て上げ、国内の不平不満のはけ口にしているような政治を行っているようでは先進国として体をなしていないと思います。だから、歴史的事実に基づいた理性的な話し合いが出来ないのだと思います。
 中国、韓国は儒教国家でしたし、その儒教は日本民族の礼節を育て、教育勅語に示される道徳律をも生み出す要因の一つにもなりました。
  その意味で、日本は、中国、韓国の先人に学び、その精神を日本の風土で育て、日本人の心としてきました。
  そうした関係を、今一度修復していくことが、日本及び中国、韓国が取り組むべき共通の課題だと思います。しかし、現状は、目先の利害だけに終始しているようで、残念でなりません。
 でも、日本は、主張すべきことはきちんと主張しなくてはいけないと思います。そうしなければ、相手国も、日本は何を問題にしているのか気付かないでしょうから。ですから、これからは主張すべきことはしていくべきです。条理をはずして、相手国の主張に乗じる必要は全くないと思います。そこは、安倍政権に期待したいところです。
 日本の今は、北方四島はロシアの実効支配下にあり、竹島も韓国の実効支配下にあります。それに加えて、対馬も韓国の島だと言い始めているようです。なんとしたことでしょう。
 尖閣諸島は、日本が一応実効支配している状況ですが、日本人が住んでいないということで中国が実力行使で実効支配の手を伸ばそうとしています。そうした中国の実力行使の拡大を、エスカレートしていくのを食い止める策が望まれています。これが、今の日本の現状なのです。
   日本国憲法前文には、「平和を愛する諸国民の信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と、在りますが、現実の国際社会はそのような状況下とほど遠い世界であり、混沌としています。この現実を日本人は直視しなければならないと思います。
 この現実を踏まえながら、共存共栄・共生の世界をどのように構築していくことが出来るかを求め、自分達の置かれた立場でより良い関係を、中国人とも、韓国人とも築いていかなくてはならないと、切に思います。
               (2013.8.25校閲)