謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
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  4.28「主権回復の日」に応える
      ー戦後後遺症から脱却し、真の主権国家へー

                                           理事長 田澤昭吾
  
  4月28日、戦後初めて、日本の独立を祝う「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が、政府主催で開催されました。
  1952年(昭和27年)4月28日は、サンフランシスコ講話条約が発効した日ですが、同条約によって日本は、1945年(昭和20年)9月2日に戦艦ミズーリ号上で行われた降伏文書の調印式後の連合国軍総司令部・GHQの本格的な占領政策から解放されました。
  ですから、4月28日は、日本がGHQの支配から6年8カ月ぶりに解放され、主権(独立)国家として国際社会に復帰することになった記念すべき日なのです。
   爾来61年間、日本は主権国家・独立国家としての歩みを始めた事を、喜び、祝うわけでもなく、「サンフランシスコ講話条約」が施行されたことが日本にとってどれほど意義あることであったのかということをマスコミも取りあげるわけでもなく、学者・評論家も論じるわけでもなく、学校でも生徒達にそのことを伝え教えるわけでもなく、ただ漫然と歳月を経てきたように感じます。
  それを安倍政権になってから、今年3月12日午前の閣議で、4月28日を「主権回復の日」として政府主催で式典を行うことに決定したのです。
  式典は、28日午前に、東京都内の憲政記念館で開かれ、天皇皇后両陛下もご臨席されました。
   安倍晋三首相は式辞で、「日本を日本人自身のものとした日だ」と、61年前のこの日に施行されれたサンフランシスコ講和条約の意義を述べ、日本がこれから「未来に向かって希望と決意の日を新たにする日にしたい」との決意を、国内外に向かって表明しました。そして、昭和天皇が昭和21年に詠まれた「ふりつもる雪にたへていろかへぬ   松ぞををしき人もかくあれ」の御製を紹介しながら、「国敗れ、まさしく山河だけが残ったのが昭和20年夏、わが国の姿だった」と当時の試練に思いを馳せながら、「27年に主権が戻ったとき、私たちの祖父母、父母たちは何を思ったか、今日は深く考えてみる日だ」と、「主権回復の日」式典に当たっての思いを述べていました。共感しました。
  「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」については、賛否両論がマスメディアに飛び交いました。
  沖縄は、本土復帰の昭和47年5月15日までアメリカの施政権下に置かれ、20年という長い月日、アジアの共産主義陣営拡大阻止を目的とした米軍基地の要とされてきました。基地の問題は今も日米間の課題としてまだ残っていますが、こうした事実に対して昭和36年、沖縄県祖国復帰協議会は、4月28日を「屈辱の日」と命名しました。その流れが続いている沖縄の現状の中で、沖縄県議会は、この度の式典「主権回復の日」に対して式典反対の決議を出しました。
   私は、本土復帰前の沖縄と、復帰直後の沖縄に行った経験がありますので、沖縄の苦渋については多少理解できます。しかし、当時の敗戦国日本が、戦勝国の施策に対して意を主張してもそれが実現化できる状況下であったかというと、全く皆無に等しかったということは、憲法の押しつけ、東京裁判による戦犯処刑等のGHQの施策等を見ても充分理解できると思います。
   それだけに沖縄の本土復帰の悲願は、政府挙げての全国民的願いであった筈です。その本土復帰の運動も、政府のアメリカとの政治的交渉も、サンフランシスコ講和条約で日本が主権を回復し、国際社会の一員としてに認められたからこその交渉であり、沖縄の本土復帰の実現であったと考えるのが妥当だと思います。
    本土復帰以前の沖縄で見てきたことは、植民地支配下の住民の悲哀と、支配者側の傍若無人の振る舞いでした。日本人として深い憤りを覚えたことを、今も忘れていません。
    ですから、私は、4月28日の政府主催による「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に対して、独立国家日本がこれからどのような国造りをしていくべきかを真剣に考える日として非常に意義ある事だと受けとめています。逆に、何故今まで、占領下から脱して主権国家として国際社会の一員に復帰できたことを祝い、日本再生の誓いの日としてこなかったのかと、政府のこれまでの有り様に疑問を抱くと共に、この度の式典で「ようやく安倍政権で日本を取り戻したか」と安堵感を感じている一人であります。
                                     (2013.6.5)