謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
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 「マッカーサー証言」を忘れるな

                       理事長 田澤昭吾

 7月6日の本欄で、 6月23日付産経新聞「土曜日に書く」の欄に石川水穂論説委員の『教科書検定で消えた「マ証言」』について紹介したが、再度、長崎に原爆が投下された日及びソ連の日ソ不可侵条約を破棄して満州に雪崩れ込んできた日に、『「マッカーサー証言」を忘れるな』で筆を執りたい。
  マッカーサーは、極東国際軍事裁判(通称、東京裁判)を開廷した連合国最高司令官だ。そのマッカーサーが、昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会で聖書に手を当て、「(太平洋戦争)あの戦争は日本の自衛のための戦争だった」と証言しているのだ。      何故、日本のマスコミは、それを国民に開示しないのか。これこそ、戦後日本の自虐的近代・現代史を払拭する貴重な発言だと思う。
    マッカーサーは、昭和25年10月15日、トルーマン大統領とウェーク島で会談し、「東京裁判は誤りであった」とも告白している。「マッカーサー証言」とは、この「東京裁判は誤りであった」と「あの戦争は、日本の防衛のための戦争だった」というこの二つをいうが、日本の教科書にはこの貴重な発言が記述されていないのである。文科省の姿勢が問われよう。
 マッカーサーは東京裁判を開き、日本軍の戦争指導者28名に対して「昭和3年1月1日よりら昭和20年9月2日に至る期間」に「共通の計画または共同謀議の立案または実行に、指導者、教唆者または共犯者として参画した」ということでA級戦犯として訴追し、東條英機ら七名を絞首刑にした張本人だ。そのマッカーサーが「東京裁判は誤りであった」と、当時のトルーマン大統領に告白しているのだから、そのことが判明した時点で東京裁判そのものを見直すことが必要であったはずだ。しかも、東京裁判は、B・C級戦犯として901名を処刑し、裁判中に病死、自決、事故死した人153名を併せると、計1054名が死亡している。
    そして、明治以降の日本の対外的歩みはアジア侵略の歴史であるとし、「平和に対する罪」として日本を一方的に裁いたのが東京裁判だ。文明史にない、勝者が敗者を裁いた裁判として汚点を残した裁判でもあるのだ。
  アメリカは、連合軍の占領政策下にあった日本に対して、自分達が一方的に作成した「太平洋戦争史」を、昭和20年12月9日から21年2月までの10週間に亘り、
日曜日の午後に「真相はこうだ」というラジオ番組で流し続け、戦争に対する罪の意識を日本人に植え付けようとした。
  また、わざわざ開戦の日である12月8日から17日の間、日本の全ての日刊紙に「太平洋戦争史」というねつ造した歴史を毎日掲載させた。
  この「太平洋戦争史」は、アメリカが編纂した歴史文書で、米英の民主主義(正義)と日独伊の全体主義(邪悪)の戦争が第二次世界大戦であったというアメリカの戦時プロパガンダの歴史編集文書「平和と戦争」が根本に横たわっているねつ造歴史書なのだ。
  それがために「南京大虐殺」と「マニラの虐殺」を挙げて日本軍の悪逆非道を強調し、日本人は道義がない戦争を行ってきたということを刷り込む虚報を流し続け、日本人の洗脳を図ったのである。
  東京裁判では、日本軍の戦争指導者を裁いた他に、「太平洋戦争史」をベースにした自虐的歴史観を日本人に洗脳しようとした。
  戦後67年を経ても、日本は、マスコミも文科省もいまだにこの東京裁判史観を引きずっているのだから、愚かしい。昭和25年10月に「東京裁判は誤りであった」というマッカーサーの告白がありながら、翌26年5月にマッカーサーが米上院軍事外交合同委員会で「日本は自衛のための戦争をした」と証言したのにも拘わらずだ。
   今回は、今この時に「マッカーサー証言」をマスコミ人が捉えて執筆したことを紹介し、高校生が日本の近・現代史に新たな歴史観を抱き、誇りを持って日本人として生きていって欲しい、これが戦後史の新たな流れとなり誇りを持てる日本及び日本人の歩みが始まっていく一里塚となって欲しい、という願い込めて筆を執らせて貰った。共感者の多きを待ちたい。                                      (2012.8.9)