謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
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日本侵略と東京裁判を否定したマッカーサー証言
真の日本兵を伝えたいというインド人映画監督

         

                                         
理事長 田澤昭吾

  最近の新聞紙上から興味深いレポートにであった。6月23日付産経新聞7面「土曜日に書く」の欄に〈教科書検定で消えた「マ証言」〉という見出しの記事が目に入ってきた。執筆者は論説委員の石川水穂氏であった。
    記事の概要を紹介しよう。
  東京都教育委員会作成の教材が都立高校に配布され、日本史の授業で使われているとのこと。その中に、「ハル=ノートとマッカーサー証言」というコラムがあるとのこと。そのまま紹介する。
  「ハル=ノートの原案を作成した財務省特別補佐官のハリー・ホワイトは、ソ連のスパイの疑いがあるとして非米活動委員会に出席しており、ハル=ノートの作成にソ連が関わっていたとする意見もある」
    1951年5月、「連合国軍最高司令官であったマッカーサーは、戦後のアメリカ議会において、日本が開戦したことについて『in going to war was largely dictated by scurity. 』と証言しており、この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえられる意見もある」
    教材の英文の本文は、その前に「Their purpose, therefore,」との語がある。故に、教材に記された本来の意味は、「したがって彼ら(日本)が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」(小堀氏編『東京裁判 日本の弁明』から)ということになると、筆者は指摘する。
   ところが、これらの記述を高校教科書『最新日本史』(明成社)に小堀氏らが執筆したのだが、検定委員から、これらことは「誤解するおそれのある表現である」と検定意見が付いたので執筆者側はこの二つとも削除したというのだ。文部科学教科書課は「記述が不充分で、誤解を招きかねないと判断した」と説明している、とのこと。
   それに対して、事実かどうか疑わしい記述が検定をパスしていると、筆者は指摘する。例えば、日韓併合時代に朝鮮の人達を70万人も日本本土に強制連行し、過酷な労働に従事させたとか、日本の占領政策でベトナムで200万人も餓死したとか、マレー半島で華人が数万人も日本軍によって虐殺されたとか、誇大な数字が今も教科書で一人歩きしている、と指摘する。また、昭和57年夏に、日本のマスコミが、旧文部省が検定で日本が中国に侵略したという記述を「侵出」に書き換えさせたというデタラメな報道をしたことによって、今なお中国や韓国などに過度に配慮した教科書検定が行われていることを指摘し、あれから30年経った今、「マスコミの教科書報道や検定の在り方について、改めて再検証が必要ではないか」と、記事は結んでいる。
   石川解説委員の指摘することに納得した。マッカーサーは、1950年10月にウェーク島でトルーマン大統領と会談し、「東京裁判は誤りであった」と告白している。東京裁判を実施した張本人が、そのように証言しているのに、当事国の日本が今なお教科書の記述も、教育界の多くも「東京裁判史観」を継承したままだし、民主党は勿論、自民党議員の中にも「東京裁判史観」に毒された人達が日本の政治を司っているのだから、この国の行方が危ぶまれてしまう。
    こうした中で、6月25付産経新聞に、〈インド人映画監督「インパール作戦」題材に撮影〉〈「真の日本兵」伝えたい〉との見出しのコラムが掲載されていた。インド人の34歳の青年映画監督が、今年の秋、日本軍が大敗したインパール作戦の激戦地マニプール州で、おじの日本兵の足跡をたどる女性を主人公にした映画を製作するというのだ。監督は、「マニプール州の人々には日本人と共に戦った記憶がある。日本は今も多彩な援助をしてくれており、日本人に親愛の情を示したいと思っていた」
「欧米では日本兵の残虐行為や犯罪に関する話が書き立てられているが、日本兵はもっとも気品があり、親切な心をもった人々であった」、と話していることが紹介されている。監督は、そうした「日本兵の記憶が徐々に人々から失われている」から、「まだ知られていない話を集めて映画で伝えたかった」と撮影にかける思いを語っていた。
  インド人青年映画監督のコメントから、アジアにようやくにして、真の日本及び日本人を伝えようという青年達が現れてきた、と感激が込み上げてきた一文であった。
                      (2012.7.6)