謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
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「救いを求むる者は救われん」153番
常に、天に神在るを忘るべからず  その4

                                        理事長 田澤昭吾
 
  信仰する人にとって、神の実在を確信することは、重要な問題だ。
  創唱宗教の誕生は、教祖・開祖の神秘的体験による覚醒・回心によるのが大半だ。教祖は、聖なる世界と一体となった神秘的体験により、超現実的な力を発揮できるようになる。カリスマの誕生である。人々は、そうした教祖のカリスマ性に惹かれ信者となり、教祖を信奉していく。そして、教祖の説く、俗なる世界を否定する時代批判に傾聴し、教祖と共に地上に聖なる世界の秩序・倫理的価値(教え)を具現化していくことを使命とし、そうした生き方の中に自己実現の道と人生の意義を見出す人達が集まり、教団が形成されていく。
  さて、松緑神道大和山の教祖さま(田澤清四郎、法名大和松風)の御霊力を前回紹介したが、今回もその続きとしたい。  
  それは、大正12年頃のことである。現在の教祖天小屋でご修行中の教祖さまのところへ外童子山で杣夫として働いていた中谷甚作の子、甚四郎(15)がある晩遊びに行った。すると、入口の付近で蜘蛛が上から下がってきたので、 甚四郎少年は無意識のうちにその蜘蛛を捕り、指で潰してしまった。すると教祖さまは、「蜘蛛は神さまの遣いだからむやみやたらと殺すものでない」と、たしなめた。そして、その潰した蜘蛛を甚四郎少年から受け取って掌に載せ、「イュッ」と気合いをかけた。すると、その潰した筈の蜘蛛が生き返って、スルスルと上に昇って行き、見えなくなった。その様を目の前で終始見ていた甚四郎少年はびっくりし、心に強く印象づけられた。
    大人になって家庭を持ってからの甚四郎は、時折、その出来事を晩酌をしながら子どもに話し、聴かせていたという。その話しを聞いて育ったのが、現在 五所川原教区飯詰支部の中谷俊雄支部長である。
    もともと中谷支部長は信者の家庭で育ったわけでない。しかし、子供心に父・甚四郎の話しを幼いときから聞いていたので、「大和山の教祖さまは何と霊力のある宗教者なんだろう」と思って、心に印象づけられていた。それが、昭和54年に当時の秋田幸誠五所川原教区長と、PTAの会合で出会ったことが縁で入信し、現在、飯詰支部長となっているのだから、縁とは不思議なものだ。(このことは平成14年に中谷俊雄飯詰支部長から直接聴いたことである)
  しかも、中谷支部長の祖父・甚作は、奥宮の鞘堂の中にあるブナの大木を伐り二つのご神体が授かった坂本民四郎の父親のもとで働いていた杣夫で、「36歳の青年(教祖さま)が、大正8年旧4月12日午後3時にそのご神体が授かった所に神堂を奉安し祭祀を行う」というみ神のお告げを、民四郎の父親と弟と一緒に確かめに来た人でもあるから、縁の深さを、このことにも感じる。
  立教当初の大和山教史からは、「大和山大神は、神は霊なれども、神に超現実の力あり、と宣言して世に出でたるなり」、「大和山の出現は、そは、天の大経綸による神の意志に基づくあり。……大和山の救いの船の舳先(へさき)には、燦として神が先頭に立ちて指揮に当たり、その進路は、光明輝きて、親の子を守るごとく大和山を守る」というみ教え(御神諭)が、絶対的なものとして発露されていることのを強く感じる。まさに、「常に、天に神在るを忘るべからず」である。 
     次回も、教祖さまの御霊力について続けたい。
                                                (2012.6.4)