謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
              ○                                                  
「救いを求むる者は救われん」153番
常に、天に神在るを忘るべからず  その3

                                        理事長 田澤昭吾
 
    引き続き、「常に、天に神在るを忘るべからず」の解説をする。
  各地で行われる大和山連合親和会の勤労者感謝祭・祈願祭へ学校説明のために数カ所出向させていただいた。その際、本部派遣の祭司・講師に同行し、お話しを拝聴させて貰い、信仰の有り難さをしみじみと感じることができた。
   標題の第一回日目の原稿では、佐藤悟風さんから聴かせて貰った雲の異象について紹介させて貰ったが、今回も悟風さんから聴いた体験談を紹介する。
   悟風さんは、大和山松風塾の6期生で、私より3歳年上の兄と同期生である。そうしたよしみなのか、道中いろんな体験談を聴くことができた。
   悟風さんは、昭和39年、20歳の頃、本部・畜舎付近で牛の飼料となる草を刈り、リヤカー6台に満載するほどまでに刈り取った。そうこうしているうちに、ふとしたすきに左手の甲を鎌で深く切ってしまった。手の甲からは、血が噴き出るほどだった。すぐさま身に付けていたランニングシャツで手の甲を包んだが、血はドクドクと流れ、ランニングシャツが赤く染まってしまった。それでも血は止まらない。同じく作業していた塾生が教祖さまのところへ走り、報告した。すぐさま教祖さまは、畜舎の前に行かれ、「悟風。来なさい」と呼ばれた。悟風さんは、「はい」と返事し、教祖さまの前へ行った。すると、教祖さまは、血が流れているその手を取り、ご自分の手を重ね、「大和山大神様」と3回唱え、念じられ、イュウーッと気合いをかけ、祈願された。すると、今までドクドクと流れていた血が、ピタリと止まったのである。
  教祖さまは、「神(じん。教祖さま直門の弟子の一人)を呼べ」と命じられ、直ぐ、青森市で開業している小松風先生(田澤康三郎先生)の友人である医師・佐々木先生のところへ悟風さんを搬送された。佐々木先生は、その傷を診察され、「奇跡というものを初めて見た」と幾度となく頷かれた。というのは、鎌で血管を切ったため、普通であれば血がほとばしり、ドクドクと流れ続けて、そのままの状態だと出血多量で生命が危うくなるところだったというのだ。しかし、悟風さんの傷は、教祖さまのご祈願によって血管が切れたのに止血した状態になり、そのまま病院に行くことができた。こうした傷口の症状を、佐々木先生はこれまで見たことがなかったというので、「奇跡を見た」と驚いたのだそうだ。
  血管が切れた怪我の治療を無事終えた佐々木先生は、「奇跡としか言いようがない」と、悟風さんに仰ったという。悟風さんは、それから3日間入院し、4日目に退院した。悟風さんの左手の甲には、その時の傷跡が今もはっきりと残っている。その傷跡を見ただけでも、怪我の大きさは伺い知れる。
   今でこそ、その時のことを笑いながら話してくれたが、手の甲を切り、血が吹き出た時は、驚愕の以外の何ものでもなかったろうし、神さまを念じながらの病院に着くまでの90分はとても長く感じたに違いない。そして、教祖さまのご霊力のすごさ、神力発動の偉大さを、悟風さんの体験談から改めて知らされ、「み神活き給う」との感動を得た。 
  教祖さまは、大正8年(1919年)旧4月12日午後3時に奥宮建立の祭事を行った後、神堂を拝しながら、「神よ、力を現し給え、世に神あるを知らしめ給え、悩める者を救わせ給え」と物欲を捨てて誓願するようになられた。そして、神の現れを試すこととして、病者を救うことを試された。すると、病者は、即座に治癒していくという奇跡が現れるようになり、周囲の人たちの心を奪うようになっていった。
  「常に、天に神在るを忘るべからず」の神言は、教祖さま忍苦の12カ年のご修行を支えた真意であり、生涯貫かれた真意でもある。その「天に神在る」の証しは、神力の発動・顕現が大きな力として示され、不動な信心を導く一つの力ともなった。その証しは、悟風さんの左手の甲に、今も厳然として遺されている。
                       (2012.5.30)