謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
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「救いを求むる者は救われん」153番
常に、天に神在るを忘るべからず

                                        理事長 田澤昭吾
 
  新宗教の誕生は、いずれも教祖の宗教的体験によって開かれたものだ。疑っても疑いきれない宗教的体験によって回心を得た教祖は、自分の宗教的体験を一般化し、宗教集団を形成していった。このことは、観念論ではなく、事実の世界だ。まさに、「人よ、神は無しといふなかれ」「暗闇(やみ)道にも、神を祈らば、燦たる光明道に射すなり」である。
  風は目にみえないが、確かに感じることはできる。神もまた目に見えないが、厳然として実在することは、神に総てを委ねて見れば感得できる。教団は、神に総てを委(まか)せた人の集団でもある。この原則を忘れてはいけない。
    宗教と道徳の違いは、人間を越えた絶対的存在からの強制力を持つか持たないかにある。 宗教は、天上の聖なる世界との出会いによる体験知から倫理を説く。それは、聖の世界の価値観を地上に具現する使命感となる。これに対し、道徳は人為的レベルを超えることが出来ないので、強制力を伴わず、各自の良識に任せられる。この違いは大きい。
  過日、大和山親和会の集会で、講師の佐藤道雄さんに同行させていただき、美幌、遠軽地区(教区)の信者さん方に、松風塾高校の説明をさせていただいた。佐藤さんは、生活学苑大和山松風塾第6期生で、今年68歳になる。大和山本部へ塾生として入塾したのが15歳だから、入山53年になられる。塾生時代から霊示があったようで、その都度、その内容を教祖さまにご報告してこられた。
   この度の旅で、その教祖さまとの「往復書簡」を見せていただいた。佐藤さんの報告書には、教祖さま直筆のお返事が書かれてあった。
    その一つを紹介しよう。この事は、佐藤さんがこの度の講話でも話されたことである。
  塾生時代、家族の事で車力村の実家へ帰ったある日、天空に雲の異象を見たとの事。空に広がる鵬(おおとり)、それが竜体に変化し、更に白馬となり、鶴と化し、最後はカエルの形になって行ったという。その時、家にいた家族にも「見ろ、見ろ」と言って外に呼び出し、天空に広がる雲の異象を拝したという。
  本部へ帰った佐藤さんは、このことをそのまま書いて教祖さまに報告された。そして、いつものように教祖さまからの「お諭し」が記され、返却されてきた。教祖さまとのこうした手紙のやり取りは、塾生時代からずっと続けられてきた。その「往復書簡」を綴り、今日まで大切に保存していた。表紙には、義父・松邦先生御揮毫の「松籟」の筆文字が書かれてあり、大和松邦が印すとの揮毫もあった。分厚い綴りは、2冊保存してあるとのこと。
  教祖さまは、塾生時代の佐藤さんのこの報告に、「大鵬の悟り、世に偉大なる宗教の出る前兆の悟り。他にも多くの体験者は有る。竜体は神の活動の兆、竜鳳活翔はま近しの悟りでせう。白馬は、天馬は走る。鶴は、目出度し。カエルは、四方に飛び歩くと悟ってよい」と御揮毫されてある。勿論、教祖さまの直筆である。
  教祖さま時代の信者さんであれば、教祖さまが御揮毫された前述の内容の意味は、大方ご存じであろう。
  今、大和松園教主さまご指導のもとで立教100年に向かって着々と布教伝道の準備と歩みが進められている。佐藤さんが披露してくれた教祖さまの「お諭し」のお話しを聴かせていただき、大和山の時(とき)は、今ここに再度、教祖さまの神意の悟りが甦り、歩みを始めていると、強く強く実感したこの度の旅でもあった。
 それだけに「若松育成」の一環としての松風塾高校も、日本及び世界に羽ばたく大和山となるための人材育成に大事な使命・課題を背負わされていると、その使命を強く感じ、抱かせられた旅でもあった。感謝である。
  人間は絶対的存在者の神を見失った時、霊性をなくした傲慢な集団と化する危険性が濃くなる。それは、滅びの道へとも続く。この事も忘れてはならない。この厳粛さを忘れず、肝に銘じ、常に活きたる神と共に歩む大和山人でありたい。
                             (2012.4.20)