謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
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「救いを求むる者は救われん」80番
世界を敵に戦うより難きは
己の心の鬼と戦ふことなり

                                        理事長 田澤昭吾
 

    座禅の「座」の字は、「土」の上に「人」を二つ並べてある。坐るとは、大地でしっかりと腰をおろして、自分の中にあるもう一人の自分と対峙することだという。もう一人の自分とは、天地宇宙に唯一人しかいない、本当の自分の姿である。このことを、もう20年程に前のことだが、来山した京都・花園大学の禅の指導教授であった宝積玄承先生は、警策に「乾坤只一人」と揮毫し、教えてくれた。
    安積徳也という、終戦直後に岡山県知事を務めたことのある思想家は、人間には「天窓」「横窓」「底窓」の三つの窓が必要だと説いた。その中の「底窓」とは、内なる自分の心と対話する窓だという。「お前、それでいいのか」と自分の生き方を問い、深く反省して見る心の世界のことだ。坐ることの意味もそこにある。
   法然や親鸞は、比叡山で修行しながらも、己の心の煩悩に涙し、その絶望感から念仏の他力信仰を開いたが、我執や煩悩は、修行をしても、学問を修めても、なお捨てがたいものであることだけは確かなようだ。だからこそ「とらわれない心・かたよらない心こだわらない心」と、仏教の教えをこの三つに要約した僧侶もいた。
 最近、テレビで日本広告機構が実に心に滲みる言葉を映像を通して流している。

ながいぼうに、みじかいぼう。
ささえあったら、人になる。
ささえることで、人をしり、
ささえられて、人となる。

ながいぼうに、みじかいぼう。
ささえあったら、人になる。
ささえるから、人なんだ。
ささえられるから、人なんだ。

   人は、人と共に生きてこそ、人らしく生きていくことができる。人間とは、そういう存在だ。しかし、そういう存在であることがわかっていながら、人は、自分の我執から離れて生きることが中々困難なこととして抱えてしまう癖がある。悲しい性である。
 東日本大震災は、未曾有の災害をもたらしたが、その被災地、罹災者にに対して国内は勿論、世界各地から救援・支援の真心が届けられた。
  そして、極限の被害状況の中で、被災地の人たちの秩序ある行動は、世界の人たちに感動与えた。何と礼節に満ち、規律正しい国民なのだろうかと。しかも、自分のことより、子供、老人、傷ついた人たちのことを思い、優先させ助け合っている姿は、世界に日本民族の道徳心の高さを写し出した。津波にさらわれた犠牲者の中には、自分の命より、人々の安全を優先させながら任務を遂行し、命を断った人も数多見られた。
      「ささえるから、人なんだ。ささえられるから、人なんだ」。この度の震災は、その人らしく生きる人たちが全国的に立ち上がり、人の絆の大切さと強さを、感動をもって教えてくれた。戦後の日本は、道徳心の頽廃が指摘されてから久しいが、震災を期に日本人のDNAが蘇生し、
「己の心の鬼と戦ふ」人たちがまだまだ沢山居て、これからの日本をみんなで支えあって、人らしく生きる社会となんるように流れを方向付けてくれた。多くの犠牲者の礎石を無にすることなく、この流れに沿って生きる人でありたいと思う。
                                           (2011.3.14)