謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
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大和山神歌606番
正と邪の戦い激し天(あめ)と地(つち)神も矛(ほこ)もて立ち上がりなん

                                        理事長 田澤昭吾

   古事記の中に男神・伊さなぎの神と女神・伊ざなみの神のことが記されてある。
    この二神は夫婦の神で、協力して大八島(日本)を産み、自然の神々をも生まれた。最後に火の神を産むと、伊ざなみの神の身体は、焼かれて亡くなってしまい、死後の世界である黄泉の国へ行ってしまう。その後、伊ざなぎの神は、黄泉の国へ行った伊ざなみの神に会いに行くが、そこで醜く変わり果てた伊ざなみの神の姿を見る。この姿に驚いた伊ざなぎの神は、急いで中つ国(現世)へ逃げ帰ろうとするが、中つ国と黄泉の国の境界である黄泉比良坂で、大きな石をはさんで別れの言葉を述べあう。
  伊ざなみの神は、中つ国の人々を一日に千人ずつ黄泉の国へ呼びよせると言い、それに対し伊ざなぎの神は一日に千五百人ずつ新しい命を誕生させると言った。このことから、生命の国・中つ国は、永遠に生成発展してゆくとも解釈されている。こうした神話は神々の物語であるが、人間の行為の範例または祖型でもあると、宗教学では教える。
  松緑神道大和山の教祖大和松風先生は、大正11年旧3月26日、北海道・送毛で不思議な霊象を拝された。   爾来「正神の神力を発動してもらわねば世は治まらない」と悟られ、「世直し」の思想を強く抱かれた。この「世直し」の思想は、教史の底辺にしっかりと息づき教勢発展してきた。それが大和山の特色の一つでもある。
 教祖さまは、この年の旧5月25日に伊勢神宮を参拝され、「もはや正しい神さまのお力が、一切の事象の上に発動していただかなければ世道人心は救われがたい段階に到達しているから、神事のうつり事として、信仰の象徴としての伊勢神宮に詣でた」と、教史に記されている。その時、教祖さまが内宮の社前で祝詞奏上されたら「風もないのに白い垂れ幕が上がり、内玉垣まで拝むことができた。そして、終わると同時にもとにもどった」。教祖さまは、ご自分の念じられたことが神さまに届いたと感じられ、深く感動された。しかも、その様子を、神宮の警備員がしっかりと見ており、不思議な男だと教祖さまを眺めていたのだ。
 時到って昭和48年7月8日、山形県遊佐支部の発会式でご親祭された初代教主さまは、その発会式に参列していた当時81歳の竹内吉太郎翁から、その警備員が自分であることを告げられ、教祖さまが神宮を参拝された際の不思議な出来事が事実であることを確かめられた。その日から51年を経た、立教55年の年のことである。
 翌日には、教祖さまは、二見浦に詣でて、夫婦岩に張り渡された注連縄を、霊的に断ち切る神事をされた。これは、天の岩戸に閉塞されている正神の神意が再び発揚されなければならないという神事であった、二見浦での二度目の天の岩戸開きの神事によって、天の大経綸は動き、正しい神さまが世の表に現れる時節か到来したという希望の第一歩がここに印されたのである。
 教祖さまの実行されたこの神事のうつり事は、信者が「松の世・神の世実現」に向かう力となっこそ、真の教勢発展が具現化されていくであろう。
 時代は今、正神と邪神の子分である魔との戦いが地上で激しく展開されている。その様相が著しい現代の世相だ。
 「正と邪の戦い激し天と地 神も矛もて立ち上がりなん」とのご神歌を心に銘記し、今を正神の側に立って正しく生きていくことが切望されている。み神は矛もて立ちあがり、人は神の手足となって働くときの到来である。                                                (2012.3.6)