謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 平成23年3月11日の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
              ○                                                            大和山神歌240番   
   倒れても立ち直れ人はねかえせ
      
  教へはかくて力与へん    

             
                     理事長 田澤昭吾

 
 早いもので、立教94年の1月22日には、初代教主さま15年ご霊祭が、教主さまご親祭のもとで神集閣大ホールで行われ、全国から約600名が参列した。
 私の脳裏には、あの日のことが昨日の如くに残っており、時がまるで止まっているようにも感じるし、心には今もなお初代教主さまが生き通され、共に生きているが如くにも感じられる。しかし、面影は心に生きていても、初代教主さまのご教導を日々汲み取り、生活に生かしているかと問えば、我が心の浅薄さが悲しくもなる。
 大和山の道は、教祖さまが山坂をふみ分けて拓かれた道である。初代教主さまは、それを幼少の頃から見てこられ、少年時代には既にご両祖さまのご修行に尊敬の念をはらい、松蝶さまのご霊能に驚異の情を覚えられておられた。初代教主さまは、こうした聖者としてのご両祖さまと松蝶さまのご事蹟を盤石なものにするために東京帝国大学(東京大学)で宗教学を専攻されたと『一念一路』に記されておられる。
 初代教主さまは、終戦後の昭和21年5月15日に、戦地から復員された松邦先生と共にご帰本された。爾来、これまでのペンを手にしてきた生活から、一転して鍬を手にする生活に変転され、当時本部で生活する教祖さま直門の先生方をはじめとする教信徒の陣頭に立って本部田畑の開墾や施設充実に従事され、今日へ続く現代史を築いてこられた。
 松栄さまとは、 同21年旧5月5日(新暦6月4日)にご結婚、「右近の橘左近の桜 共に揃うて神仕え」と神授の文字のご揮毫を賜った。正にその神言の如く、お二人揃うて神仕えの行を励まれ、戦後の大和山の礎石を築かれてこられた。忘れてはならない大和山戦後史の事蹟である。
 平成6年の「神集閣」落慶は、大和山戦後史の一つの区切りであった。よくぞここまで教勢発展し、東北随一と評された天に聳える近代的建物「神集閣」を本部境内に竣工させたとだれもが歓喜したものだ。そして、神集閣は、新たな布教の拠点となり、布教への勢いを一層勢いづかせてきた。
 その後、教団は、初代教主さまから2代教主大和松光先生の時代に、そして、3代教主大和松園先生の時代へと変転発展し今を迎え、新たに神の都建設の構想が練られている。
 こうした立教94年の歩みの道は、決して平坦な道ではなかったことは、想像に余りある。「教の祖たすけて道を築きあげよ よしや雨なす石礫あれ」のご神意そのまま歩みであったことも、私達は決して忘れてはならないし、銘記すべきである。
 であればこそ、立教100年に向かっては、「大和山の教えを養い育てるために傍観しながら、もし乗り心地がよければ乗ってみよう。だから今のうちに切符だけは買っておこう、という信徒が多かったところに、教勢発展の弱さの原因があった」(『おいたちとおしえ』より)という箴言に心を澄まし傾聴し、この箴言をバネにして布教伝道の士となる教信徒の多くが望まれているのだ。
 初代教主さま15年ご霊祭では、「倒れても立ち直れ人はねかえせ 教へはかくて力与へん」と決意とする護教の防人(さきもり)が、今こそ求められているのだと感じ取った次第である。
                    (2012.1.30)