謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
 
 この度の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
   私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにして、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っております。
  
              ○                                                          心の陶冶のために (13)
                                          理事長 田澤昭吾
 
  神歌240番
      倒れても立ち直れ人はねかへせ 
                        教えはかくて力与えん

   
『口語訳・大和山神歌集』【倒れても立ち直るのだよ。人は外からの迫害も誘惑もはね返すのだよ。そうあってもこそ、神の教えは、強く生きる力を与えることとなるのだよ】)

                                         理事長 田澤昭吾

   大和山の道は、教祖さま(法名、大和松風。俗名、田澤清四郎)が山坂をふみ分けて拓かれた道である。そして、平成9年1月22日、84歳で他界された教祖さまのご長男である田澤康三郎先生(以下、創立者田澤先生)は、少年時代からご両祖さまのご修行に尊敬の念をはらい、松蝶さまのご霊能に驚異の情を覚えられ、これらのご事蹟を盤石なものにするために東京大学で宗教学を専攻なされた。(『一念一路』より)
    創立者田澤先生は、昭和21年5月に、昭和10年4月から学びの庭としてきた東京大学をあとにし、教団本部の教祖さまのもとへご帰本された。ご帰本後は、これまでの、ペンを持つ生活から、一転して鍬を持つ生活に変身され、当時、雑木が鬱蒼と茂っていた本部の開墾に従事された。その先頭に立たれて汗を流し、現在の本部境内を整えられたのが創立者田澤先生である。
  大和山現代史は、終戦直後の開墾作業から始まり、今日の大和山が築かれてある。大きな建物としては、昭和30年に礼拝施設の天峰閣、同53年に信徒宿舎と本部教務室、研修施設を兼ねた五光館、平成6年に新教務室と大集会場を兼ねた神集閣が落慶し、施設が整えられてきた。そして、平成12年には、教信徒の新たな合同納骨所・新光霊殿が落慶され、本部の布教体制を整えるための諸施設が確立されてきた。
  戦後の荒涼とした日本の社会状況を背景とした教団の現代史は、平坦な道のりではなかった。「教の祖たすけて道を築きあげよよしや雨なす石礫あれ」
(『口語訳大和山神歌集』【304番・教えの祖(おや)である教祖をたすけて、大和山の道を築き上げるのだ。たとえ雨のように石つぶてが降って来ても、大和山の教えを築き上げて行くことだ】)の神意そのままの歩みの上に、今日の本部の生活と環境があることを、本部に在住する私たちはもちろん、教信徒一人ひとりが努々(ゆめゆる)忘れてはならないことだ。
   『おいたちとおしえ』の中には、「大和山の教えを養い育てるために傍観しながら、もし乗り心地がよければ乗ってみよう。だから今のうちに切符だけは買っておこう」という教信徒が多かったところに、教勢発展の弱さの原因があったと記されている。
   立教95年をあと2年に控えた今、立教100年祭に向けて教勢拡充の具体的ビジョンを教え導かれる教主大和松園先生の真聲(まこと)の声に心を澄まし、「教の祖血もて拓ける道の声耳傾けて聞けやまめひと」
(『口語訳大和山神歌集』【702番・教えの祖(おや)が心血をそそいで切り開いた大和山の道、その道を説く声に耳を傾け、心を寄せて聞き入りなさいよ。信徒たるものはみな真剣にきくのだよ】)とのみ神の呼びかけに心を奮い立たせ、教の城を守り、神の願う世の浄化のために身命を懸け、「神生き給う」との狼煙を掲げて世直しの神業に立ち向かう武士(もののふ)の決意が、今求められている。
  今一度、冒頭のご神歌に心を陶冶してみよう。
倒れても立ち直れ人はねかへせ教えはかくて力与えん  
                                                (2011.9.12)