謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
     
 この度の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地  震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
        私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにし     て、被災者の方々の今後の救援に取り組
んでいきたいと思っておりま     す。
  
              ○                                                       第五の国難
    ー新生日本に甦るときー
    
                   理事長 田澤昭吾

  3.11の東日本大震災の被災は死者・行方不明者が、5月14日現在で24,524名と発表された。それに津波による福島第一原発の事故も、大変な惨事として騒がれ、世界各国からもその処理の仕方が注目されている。
  識者は、この大震災を国難と名付け、その打開に健筆を振るうが、具体的対策まで導き出せればいいのだが、と思う。例えば、曾野綾子さんは、「地震が近年落ち込んでいるといわれる日本の凋落に、決定的な追い討ちをかけるか、それとも長い間の物心両面の沈滞を打破するきっかけになるかというと、私は後者に望みを託したい。地震が眠りこけていた日本人の怠惰と甘やかされた精神を揺り動かしてくれれば、多くの死者たちの霊も慰められるかと思うのである」と雑誌に書かれている。   確かに、今回の地震を契機に本来の日本人の道徳律が甦っていくことを期待している人は多いに違いない。しかも、日本人の善き特性として、この度の被災者の人達が「困難な状況の中で天を呪わず、他を思いやり助け合う日本人の姿に、多くの外国の人たちが感嘆と賞讃の声を上げている」と、『致知』6月号の「特集・新生」に書かれている、これは凄いことだと思う。普通であれば、こんな悲惨な大惨事を招いた災害であれば、被災者が天を呪っても仕方がないと思うが、日本人の多くは呪いの言葉を吐くより、被災者同士が互いにかばい合い支え合って生活している。それを見守る多くの国民は、被災地及び被災者に対して自分でできることを探し、具体的な活動を展開している。
  ボランティアとして現地に行く人、街頭募金に立って義捐金へを呼びかける人(松風塾高校生徒も街頭募金に立ち、義捐金の協力を呼びかけました)等々の他に、専門職の人たちもそれぞれの技術を被災者のために現地で提供している。
  医師団は医療活動を、カウンセラーは心のケアに、芸能人は被災者の心を和ませる芸を披露し、プロのスポーツ選手は試合前後に募金活動をしたりと、様々な救援活動が全国的に行われているのが、マスメディアが茶の間まで届けてくれている。これらのニュースに感動し、今日本に善意の連鎖反応が全国的に席捲している、と逆に勇気を貰っている感じにもなる。正に、「天を呪わず、他を思いやり助け合う日本人の姿が」被災地にあるのだ。
  前野徹著『第四の国難』では、蒙古襲来、黒船来航、敗戦、そして、 現代社会の「無日日本人」の増殖を挙げて、日本の四つの国難だと指摘している。そして、第四の国難が最も深刻で、かつ複雑だと危機感を訴えている。
  「無日日本人」とは、国籍は日本だが、日本人でない人々のことだ。つまり日本国民としてのアイデンティティを持たない人間のことで、国に無関心、政治に無関心、周囲の人間の気持に無関心な人々のことを指している。こういう人間は、ただ動物的な本能と欲望だけで生きているだけで、生き甲斐もなく、何のために生きているのかさえわかっていない。こうした「無日日本人」は、既に数千人に膨れあがり、国民の三分の一近くまで達していると、喝破する。
  前野氏の危機感に共感する。正に、現代日本の危機は、ここにあると、私もそう思う。なぜなら、松風塾開塾・開校の素願は、「占領政策の危機は、戦後三十年先に来る」という危機感にあり、その危機到来に備えるための青年教育にあるからだ。それが、本校創立者田澤康三郎先生の青年教育の眼目であるからだ。
  前野氏の「第四の危機」は、創立者田澤康三郎の危機感と同じだ、実感した。
  こうした「第四の国難」の中にあって、日本は今、東日本大震災に見舞われた。これを「第五の国難」と言うことを許して貰えるなら、「日本は今、第五の国難のときだ」と、声を大にして訴えたい。千年に一度の大震災とも言われるこの東北・関東の地域を襲ったM九というエネルギーを発した大地震、それによる巨大な津波は、宮城県、岩手県の太平洋海岸一帯を襲い、そこにあった町とそこに住んでいた人々を掠っていき、一気に消してしまった。海が陸を襲い、地上にあるものを瓦礫とし、破壊してしまったのだ。
  しかし、人々は、この国難を何とか克服して生きていこうとしている。「歴史を見れば、この国は何度も国難に襲われた。近代以降でも、押し寄せる西欧文明に飲み込まれそうになった幕末期、全てが壊滅状態となった終戦記と、国家の命運が差し迫った危機があった。だが、その都度、私たちの祖先、先輩は堅忍不抜、必死の覚悟で国難に立ち向かい、新たな世界を拓いてきた」という一文に勇気を得る。そして、「いまこそ先人に学び、国難を乗り越えていかねばならない。それが犠牲に遭われた人たちへのせめてもの供養となろう」との声は、奮い立たせてくれる(前記『致知』参照)。
  日本はいま、この「第五の国難」を立ち向かい、この大震災を境とし、これまでの経済成長を唯一とし、物資的欲望に心を奪われてきた生き方から脱皮する機会に入った、との声に共感する。「目に見えるものばかり追う姿勢は、精神的頽廃を生む。それは、震災前の日本に日常的に起こっていた事件に顕著であった。目に見えないものが目に見える世界をつくる。その大事さに私たちは一人ひとりが目覚め、新しい人生を生きなければならない。真の復興、新生はそこから始まる」という言葉に真摯に傾聴したい。そして、在天のこの度の震災で亡くなった全ての御霊に、「私たちは、貴方達の犠牲を無駄にすることなく、日本の真の国家、祖先が大事にしてきた人としての正しい道を守り、道義国家日本を建国していきます」と、天に向かって誓おう。それが、この度の震災でなくなった全ての御霊に報いていく真の道であり、弔いとなろう。
  20世紀のキリスト教神学に大きな影響を与えたスイスの神学者カール・バルトの言葉、「最も暗い時代も希望を持とう。いかなる時代も意気消沈してはならない」と言ったが、このように生きていこう。
                 (2011.5.16)