謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
     
 この度の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地  震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
    特に松風塾高等学校の在校生、卒業生及び保護者の方々、及び関  係者で被害を被り、 ご家族でお亡くなりになられた方々に対して、ご   冥福を心からお祈り申し上げます。 
    亡くなられた方々の思いに心を重ね、故人の分まで゙生き、故人と共  に生き、これから の人生を希望を持って歩んでいかれることを心から  祈念申し上げます。
    私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにし     てその克服に努め、被災者の今後の救済に取り組んでいきたいと思        っております。

              ○                                                            心が洗われた一ときに感謝

                   理事長 田澤昭吾

  今回は、宗教法人松緑神道大和山本部で、全国各地で開催している勤労者感謝祭・生活安全祈願祭に参加し、感動したことについて記す。
  同祈願祭では、松風塾高等学校を紹介する時間を10分から15分程割いて貰い、お話しさせていただいた。感謝の極みである。既に、苫小牧、室蘭、旭川、女満別の4会場に出向し、説明させていただいた。この出向で一番の役得は、生きた信仰体験を聴くことができるということだ。
  ここでは、4月16日旭川道場、17日女満別研修会館で行われた同祈願祭で、津田貴志布教部長が祭司法話で述べた法話と、私自身が聞いた事柄とを併せて要約し、紹介する。
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   松風塾高校第20期生のO・Kさんは、昨年9月14日、長女小学校5年、次女小学校3年、長男小学校1年の3人姉弟を遺して逝去。ご主人とは、事情があって離婚。2年前には兄が交通事故で死亡。こうした不幸続きに地元の大崎市岩出山町では、「大和山の信仰しても何の御利益もない」と中傷されたという。それが、本人にとって、一番口惜しかったようだ。離婚後、大和山宮城県布教センターに事務職員として勤務することになり、一生懸命務め、持ち前の明朗さが親しまれ、人気者となった。
   ところが、昨年3月に、体調不調で大崎市民病院に検査入院となった。当初は病名がはっ
きりしなかったが、すぐ退院できると思っていた。ところが、意に反して検査が長引き、後に癌だと告知された。本人及び家族にとって晴天の霹靂だった。
   それからは、抗ガン剤が投与され、癌との闘病生活となった。抗ガン剤の使用は、身体に苦痛が走り、髪の毛は抜けるという副作用が伴った。モルヒネの点滴は、24時間の苦痛となった。
   8月下旬には、輸血を必要とするほどに病気が悪化し、主治医から余命1カ月と告知された。母親は、その告知に動揺を隠せなかった。 しかも、この時、両親は、協議離婚の最中だった。彼女は、こんなにも不幸が重なるものかと思うほどの環境の中で入院生活を過ごした。   松風塾高校の同期20期生も、待ち合わせて病院へ見舞いに行った。病室での彼女は、常に名明朗快活で、病気であることを感じさせなかった。癌と告知されてもそれに屈することなく、治療を受けていた。しかし、若い分、病魔の進行も早く、だんだんと身体の自由がきかなくなっていった。看病には、松風塾高校第24期生の妹Tさんが付き添った。
  O・Kさんは、見舞う人達に笑顔を絶やさず、常に明るく対応していた。しかし、本当は、苦痛の日々だった、と教えてくれたのはTさんだった。
    O・Kさんは、3人の子供の前では、いつも母親として毅然とした態度を失わず、苦しい様子を微塵も見せなかった。子供達の記憶には、いつも優しく、そして、ことの善悪をしっかりと教える母親の姿を遺していた。
      しかし、道場主管のS・S教区長の前では、「一体私はなにを頼って生きていけばいいのですか」と、涙ながらに縋ったこともあったという。唯一の甘えだった。しかも、お父さんとお母さんは協議離婚寸前の状態だったから、両親には甘えられない。
     3人の子供を抱えながら、入院加療で、しかも辛く苦しい痛みが身体を走る日々が続いた。それを癒してくれたのは、毎日夕方になると姿を現し励ましてくださった初代教主さま、初代校長(田澤康三郎)先生だった。
     「O・Kさんには、霊示・霊感があった」と教えてくれたのは、S・T宮城第一教区長だった。毎日、夕方になるとO・Kさんには、初代校長先生が学校の教師室のご自分の席に座って執務されているお姿が見えた。そして、その都度、励ましてくださり、救われ、癒されてきた。「初代校長先生は、そんなにも松風塾高校の生徒さんを、卒業しても案じておられるんですね」と、S・Tさんは、話される。しかし、遂に9月14日、彼女は、齢33歳で霊界に魂去った。
      葬儀は、生前の本人の希望で大和山神葬祭で行った。本部から津田士風布教部長が祭司として出向した。
      祭司を務めた津田布教部長は、告別前夜祭の祭司法話で「人の命の尊さは、その長さ短さでなく、如何に生きたかということだ」と述べ、「母親として病気と闘いながらも、子供達に常に毅然とした態度で接し、見舞う人達にもいつもの明るさを崩さず対応していた故人は、正に母親の鏡であり、信仰者としての生き方を示してくださった。彼女の最期は、人生の勝利者として霊の国に凱旋し逝かれた」と、述べた。そして、「これからは、霊界で初代教主さま、初代校長先生にお仕えしながら、3人の子供さんを天上から見守り、導いてゆかれることでしょう」と結ばれた。
    O・Kさんのお父さんは、信者でなかった。故に、大和山の神葬祭に対して好意的でなかった。会葬者に対しても憮然として態度であった。しかし、葬祭が進行されていくと、大和山神葬祭の厳かさに感服し、祭司・津田布教部長の祭司法話を聞いては深い感動を誘われた。そして、我が子を斯くも厚く弔い、法話では我が子の生き方を讃えてくれたことに涙を禁じ得なかった。お父さんは、津田部長に深々とお辞儀し、謝意を表した。神葬祭が始まった時と、神葬祭が終わった時とでは、お父さんの態度が一変してしまったのだ。
    告別祭を終えてからご両親は、再び話しあい、二人は離婚はしないで、遺された3人のお孫さんを協力して育てていくことにした。家族の新たな生活が始ったのである。
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     聖歌に「諸人の 死はとこしえの滅びならず 世の旅終えて 帰る魂」とある。慰霊祭では、必ず奉唱する聖歌だ。
    大和山では、人はこの世での務めを終えた後、魂は霊界に帰えると教えている。その時は、現世での生きた足跡・記録だけを持って神さまのもとへ帰えるという。この世の名誉や地位、財産は、あの世に持っていくことはできないのだ。だから人よ、清く正しく、美しく生きよ、と教える。
     大和山本部の合同納骨施設である光霊殿にお参りする信者さんの中には、ご命日礼拝の最中に、亡き御霊の霊示・姿を拝される体験が、枚挙にいとまがない程ある。それは、疑う余地がない体験談として記録に残されている。正に、「諸人の 死はとこしえの滅びならず 世の旅終えて 帰る魂」ということを、納得させてくれる。有り難いことだ。
     この度の布教の旅に同行させていただき、本当に心が洗われた。そして、再会した同心の方々にも心から感謝された。出会った全ての教友に感謝します。ありがとうございました。
                     ( 2011.4.25)