謹んで震災のお見舞いを申し上げます。
     
 この度の東北地方太平洋沖地震及び長野県北部 を震源とする地  震で被害を受けられ た皆様に心より お見舞い申し上げます。
    特に松風塾高等学校の在校生、卒業生及び保護者の方々、及び関  係者で被害を被り、 ご家族でお亡くなりになられた方々に対して、ご   冥福を心からお祈り申し上げます。 
    亡くなられた方々の思いに心を重ね、故人の分まで゙生き、故人と共  に生き、これから の人生を希望を持って歩んでいかれることを心から  祈念申し上げます。
    私達学校関係者も、千年に一度という大惨事に対して心を一つにし     てその克服に努め、被災者の今後の救済に取り組んでいきたいと思        っております。

              ○                                                            心の陶冶のために (8)

                                          理事長 田澤昭吾
 

    情けあれなべてを愛に生かしめよ 
              草にしぐるる露のごとくに
               
          (大和山神歌203番)
                             〈その2〉
 今回は、この御神歌を再度テーマにして掲載する。
 東日本大震災が発生してから一カ月が過ぎた。10日午後7時現在で、死者(13,013名)・行方不明者(14,608名)が27,621名と発表された。
   被災地では、警察官や消防隊員、自衛隊員の救助活動が被災者を随分助けたことも報道された。公務とはいえ、自らの生命を犠牲にしてまでも住民を救おうとし、犠牲となった殉職者の話しは、胸が打たれる。
  4月6日の産経新聞には、仙台南署の渡辺武彦警部(58)が警棒を振り回しながら「内陸に行け!」と声を張り上げ、住民に呼びかけていたことで助かった鈴木和美さん(26)のことが、コラム欄で紹介されていた。
  県警によると渡辺警部は、3月17日、交差点から約百メートル離れたところで、がれきに埋もれて死亡しているのが見つかった。県警のホームページでその渡辺警部の殉職を知った鈴木さんは、「(渡辺警部に)助けていただいた命。悔いのないように生きていきたい」と声を震わせ、インタビューに答えていた。
  天皇陛下は、3月16日に被災者と国民に向けてビデオ映像で「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かちあっていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災地と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」と語りかけられた。被災者の人達は、どれだけ勇気づけられたことであろうか。全国で行われている被災地・被災者への支援活動には、一層力が入っていったと思う。教団の教主さまも、本部職員に長期に亘る支援の方策を打ち出され、その対策に取り組まれておられる。強く感じ入った。
  産経新聞「主張」欄には、「両陛下がお見舞い」「苦難を共にし立ち直ろう」という見出しで、天皇・皇后両陛下が被災者の避難している東京都内の施設を訪ね、見舞っている様子が書かれていた。
  4月6日には、皇太子ご夫妻も都内の避難所を訪問し、被災者に声をかけられた。皇太子ご夫妻と話していた39歳の女性は、涙ながらに「これまでこらえていた心がほぐれました」と話していた。
  秋篠宮ご夫妻も7日には、都内の施設を訪ね、被災者を激励された。
  日本国の君主である天皇ご一家が挙って被災者の元へ出向かれてお声をかけられ、励まされておられるお姿は、「国民と共にある」という皇室の伝統を改めて知らしてくださった。しかも、「主張」欄の中には、陛下は首都圏で行われた東京電力の計画停電の時間帯に合わせて、御所で自主的にブレーカーを落とされ、一日数時間にわたって明かりや暖房を一切使わない自主停電を続けられていることも書かれてあった。 
  皇太子ご夫妻も、「被災者と困難を分かちあいたい」と仰られ、両陛下同様に自主的に電気の使用を控える取り組みをされておられるという、別の記事もあった。
  4月3日の読売新聞「皇室ダイアリー」に掲載された記事によると、天皇陛下は、「暗い部屋で寒さをこらえ、夜の場合はローソクの火で夕食をとられている」という。 宮内庁の羽毛田信吾長官は、「そこまでされなくとも」と体調を案じられたが、この度の被災で苦しんでいる人達がいるのだから、その被災者の苦しみを分かち合うためにも「自分の気持ちとしてはそうしたい」と述べられ、自主停電を続けられているという。
  皇后陛下も、「(被災者の)困難を分かち合いたい」と仰られて、計画停電の時間が近づくと女官に教えて貰って、腕にリストバンドをはめて、何かに集中して自主停電の時間の開始をやり過ごすことのないように注意を払って生活されいるという。
   両陛下は、被災者と共に耐える時間を大切にされ、今お過ごしになっている。
    昭和天皇は、昭和43年11月4日の昭和新宮殿が落成する前まで、御所の御文庫でお過ごしになっていた。
御文庫は、戦時中の地下防空壕だった。
  側近の方がご改修を進言されても、「戦後の復興ができないうちは」と、それをお許しにならなかった。
  また、何か天災地変が起こると、真夜中にでも当時の侍従を呼び起こされ、経過の情報提供を、矢の催促でせき立てられるのが常の例であった。そして、その地域の国民が困窮して居らないかと御下問され、その後にきまって申されるのが「朕の徳が足らず欠けておるから、天神地祗の御加護にあずかることができないのではないか」と、ご自分を深く省みられ、時には夜もすがら御寝所を行きつ戻りつして、安眠を得られないこともおありだった。(田澤康三郎著『わが内なる昭和天皇』より)
 今上陛下ご一家は、こうした皇室の伝統をしっかりと受け継がれ、歩まれておられることに深い感動を覚える。
  しかも、「物で栄えて心で亡ぶ」と危惧されてきた日本の戦後の社会の動向から一転して、日本人の善意の連鎖反応が日本列島を汲まなく席捲していることは、日本が日本らしく生まれ変わっていく息吹を強く感じる。日本人に甦った、共に生きるという価値観が、日本の将来に希望を与えてくれている。「神よ、日本を守り、導き給え」と切願される。
                                  (2011.4.11)