心の陶冶のために (2)

                                          理事長 田澤昭吾
   
 光りなす神門の扉ひらかれて 生きてし人も通う神国
                 
      (大和山神歌四〇九番)

  「迷えば凡夫、悟れば仏」だという。私たちの心の動きは、まさに煩悩の巣窟となったり、仏(覚者)となったりと、まことに忙しいものである。  
  転迷開悟こそ仏教の根本目的だという。
  迷い転じて悟りを開くとは、人の心は迷いの中にあっても、心の持ち方次第で目前が明るくなり、仏となることができるということだ。その仏となる道を説くのが仏教だという。
  「知恵第一の法然房」と言われた法然は、「かなしきかな、かなしきかな。いかがせん、いかがせん」と、比叡山での修業中に、自己の罪悪性と、尽きることなく湧いてくる煩悩に悩まされ、「このような私でも救われる道はない者か」と苦しみ、阿弥陀如来の慈悲にすがってゆく専修念仏の浄土宗を開いた。今まで自分が学び、身につけた一切を捨てきり、阿弥陀如来の罪深い人々を救おうとした本願にひたすらすがったのである。その心は、自分を越えた絶対者に身を委ね、まかせきった境地であり、自分の計らいや思わくから一切脱した心境によって開かれた信心の世界でもあった。
  私たちの信心もまた、心の扉を開いたとき、そこに神の国があることを信じたい。
                                                   (2011.2.28)