心の陶冶のために (1)

                                          理事長 田澤昭吾

    子供のための宗教読本「心のノート」を18回に亘って掲載させていただきました。
 お読みいただいた皆様の語り掛けによって、皆様の周囲にいらっしゃる子供さん方の心の糧に、少しなりともお役になればと願って綴り、掲載させていただきました。ご一読くださった方々に心から感謝申し上げます。
  今週からは、宗教法人松緑神道大和山の教典である大和山神歌の中から選んだ御神歌の解説(私釈)を掲載いたします。
  また、今回からは、再度、毎週月曜日の更新とさせていただきます。
 但し、その週によっては、私達の目の前に起きている社会事象を取り上げて、日本の行方を一緒に考えていきたいと思っています。
 今の日本は、菅内閣に対する攻防が益々激しくなっていますし、ロシアが北方4島の実行支配を更に強化させていこうとしています。また、尖閣諸島海域で起きた中国漁船衝突事件の真相が明らかになっても、中国側は依然として強硬姿勢を崩さず、日本側の主張が「犬の遠吠え」のようで、釈然としません。これは、ロシアに対する北方4島の主張も同様ですし、竹島問題に対する韓国への主張も同様です。実に情けない体たらくで、独立国家としての威厳がありません。
  「沈黙は罪悪」ですので、それこそ「犬の遠吠え」でもいいから、声を挙げていきたいと思っています。
  今週は、御神歌私釈をお届けします。

大和山神歌二五〇番
 
日の本の国に住みたる生くみたま 
     神の光りに往きぬれてゆく


  日本人は、「ひと」を「日止」とか、「霊止」と書き表し、そこに宇宙の生命の分け霊(みたま)を宿した「ひと(日止・霊止)」としての存在意義を捉えてきましたた。
  「日止」と書き表した場合は、日本人が宇宙の根源的生命の霊性を太陽に象徴させてきたことから考えれば素直に理解されると思います。
  また、「霊止」と書き表した場合も、わたくしたち1人1人には神の分け霊(みたま)が宿されているからこそ、神と繋がる「ひと」としての正しい生き方が求められるということも素直に理解されると思います。
  この人間の捉え方が、日本人の人間観なのです。そこに、「ひと」としての道が開かれ、顕現され、その道が、神に通じる道でもあるとしてきたのです。しかも、道とつく日本文化の基底には、道は「ひと」の道であり、その道は神に通じる道だという価値観がしっかりと根付いています。
  例えば、華道、茶道、剣道、弓道などの「道」の文化の伝統は、日本人の精神的遺産を蓄積させてきています。そして、この道を求めた数多の先人の歩みし生命の軌跡は、具体的な芸術、芸能・芸道など技の鍛錬を通して人としての境地も開き、道を知り、その道を神に帰一させていく文化まで止揚し、創り上げ、今日まで伝承してきているのです。それが日本文化の特色です。
  人は、道がなければ「ひと」らしく生きてゆけことはできません。人は道があってこそ初めて「ひと」らしく,迷わず生きてゆくことができるのです。この「ひと」としての基本的生き方が、今日本人が一番取り戻すべき価値観であり、人間観であると思います。
  大和松風教祖さまも、12カ年の忍苦のご修行を通して、先人の祖師たちの求めた道を同じく求められ、そこに大和山の教風を築かれました。私たちも同じ道を求める人でありたいと思います。
                     (2011.2.21)