昭和四十九年(一九七四)四月九日は、わたくしの生涯において記念すべき日でした。学縁を断って山の住人となってから、わたくしの胸に温めて来た青年教育に明るい希望がひらけて来た日だからです。学校を経営した経験が全くないので、副校長を委嘱した福士勇三さん、その他の協力で、学校として必要な準備を一つ一つ整えました。
まず校名ですが、生活学苑大和山松風塾の教育方針を受け継いだ普通高校ですから、その小さな伝統を忘れないようにと、松風塾高等学校とよぶことにし、十九年間実施して来た教育方針としての全寮生活の生活指導を受け継ぎ、昼の教室での授業は普通高校と全く同じ内容で教科の指導をしてもらうことにしました。また寮に戻ってからの時間帯は、寮監が指導に当たるという二重構造の教育指導に決めました。また、帽章は僅か六人から始めた松風塾を象徴して六つの松の実をあしらい、制服は、よその高校と一風違え、どこにおっても本校の生徒であることを明瞭にし、やがてその制服に誇りと責任を自覚してもらうようにしました。小さいことでありますが、松風塾の精神として来た三つの指導目標である「ヨクミル・ヨクキク・ヨクスル」を象徴して帽子と上着の袖に三本の横線を入れました。また宗教教育の基本である朝夕の合同礼拝は、全校生徒が必ず守らねばならない必修の時間帯ときめました。
この学校は、誰か特定の金持ちが資金を提供して建てたのではなく、無名の信徒方が浄財を提供してくれ、汗を流して建ててくれた学校であり、多くの卒業生がみんなで声をかけあってその実現を願った賜として誕生した学校でありますから、それをいつまでも忘れないようにしようと、学業の余暇を勤労にふり向けるようにしようと、用務員をおかないことにし、当番制にしました。将来、諸君はやがて両親の元を離れて生活してもとまどいがないようにと配慮して、当番制の夜間巡視もしてもらうことにしました。上級生と下級生が互いに尊敬しあい、庇いあう友情を養いあうようにと願って、各部屋ごとに三年生二年生一年生と共同で生活してもらい、毎年春秋に部屋替えをし、上級生には指導力を涵養し、下級生には先輩から取るべきものを学びとってもらいたいと考えました。全寮生活は、共同生活ですから、自分一人の都合や勝手は許されません。
「人間」という文字がいいあらわすように、われわれはいつでも、人と人との間に生活してはじめて人に成るのでありますから、この修練は絶対に必要と考えました。
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