優れた人の第一条件は優しい心の持ち主であること           

 朝がめっきり寒くなりましたから、どうぞ健康には留意して下さい。人間、健康が第一ですからね。その日、その時の気温に応じて、風邪を引かないように対策を講じて下さい。ちょっとの辛いことは、健康であれば乗り越えて行くことができますから。元気よく生きて行きましょう。
 週番から、今週の反省として挨拶が十分でなかったと報告されました。挨拶は、社会生活する上で、人としての基本的マナーです。特に、若い人達が会社に入社しても、職場で挨拶もろくに出来ない人がいるというので、ひんしゅくを買っている事例を幾度も聞いたことがあります。しかも、上司から注意されても素直に聞けない若い人達が増え、「こんなうるさい会社ではやっていけません」と言って辞めてしまうことがよくあるようですよ。こうした事例を聞くようになってから、もう二十年近くも経っていると思います。若い人達の礼儀知らずや、勝手気ままの態度が社会人として常識がない、と評されてから久しいです。
 こういう風潮では、社会全体、もしくは国全体の勢いが出てきにくいものです。こういう現象も、戦後日本の弊害として現れてきた現象の一つだと思っています。挨拶ができない日本人の出現は、日本のゆがんだ社会現象の一面だと思います。
  本校の特色は、生徒達の挨拶が良いことです。礼節に満ちた挨拶が素晴らしいというのが評判となっている高校です。大和山本部へ参山する人は、みんな異口同音に生徒さん方の挨拶に感激し、高く評価してくれています。こうした期待に応えられるような皆さんであって下さい。「礼節日本一」という名にふさわしい高校に、皆でしていきましょう。そのためにも、自分から気持ちのいい挨拶をしていきましょう。
  昨日の朝会で、佐藤高志先生が人の優しさについて話してくれました。高志先生が病気で寝ている時に、長男の七歳の智慧君が、お父さんのことを心配して、枕元にきて、頭の上に手をかざし、触るか触らないかの状態でなでてくれたという話でしたね。その息子さんのいじらしい行動にお父さん・高志先生は、グッときたという話でした。そして、その事例を紹介しながら、人の憂いをわが憂いと感じとる人が優しい人だという話をしてくれました。その話を聞かせて貰った私も、そうした親子の姿にジーンとくるものを感じました。
 今日は、その話に関連しまして、人の優しさについての話題・物語を印刷して配付させて貰いました。紹介したいと思います。
 それは、ネパールで二十年ほど医療奉仕活動をしていた医師・岩村昇先生という方がまとめた小冊子に紹介されている内容です。岩村先生は、昭和五十三年に本校で講演してくれたこともある方で、新宗連青年会がネパールに農業支援していた頃のコーディネーター的役割を果たしてくれた方でもあります。
 岩村先生は、ある時、中国の天津大学からいらっしゃった教授と、次のような話をされました。
 その教授は、「中国の四つの近代化のために優れた人を選んで日本へ留学生として送りたい」と仰いました。そして、岩村先生は、その教授と二人で、「優れた字」を書きました。それから、岩村先生は、
 私達日本人の先祖は、文字を持たなかった時に、中国に行って「優れた」という字の「優」の字を日本に持ち帰って、大和言葉で「優しい」と読ませました。
  「本当に優れた人というのは、人の憂いを我が憂いとすることのできる優しい心の持ち主なんだと。我々は、    日本の文化の中で、そのようにあなた達が作られた漢字を受け取りました」
と話しました。すると、漢字の本家本元の中国の教授がびっくりされて、「これだ」と言われました。
 そして、「今、私達は四つの近代化の中で優れた人材を選ばなくちゃいけない。優れた者の第一番に必要なことは、人の憂いを我が憂いとする優しい心なのだ
」と言ったそうです。
 岩村先生は、天津大学教授のその言葉にビックリされたそうです。
 「優れた人」にとって一番大切なことは、人の憂いを我が憂いとする優しさだというのです。いい話ですね。
 孔子の一説の中に、こういう話があります。
 孔子の弟子・子貢が、師匠の孔子に「人が一生守らなくてはならないことは何でしょうか」と問うたら、それは難しいなと言いながら、「それ恕か」と答えられ、続けて、「己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ」と仰られました。
 人間にとって大切なことは、「思いやりの心」だと教示され、「思いやり」とは自分で嫌だと思うことを人にしないことだよ、とも解説されたのです。人の嫌がることをしないことが、相手を思いやる心だよ、と説かれたのです。
 人の望むことをしてあげることは、家庭生活で一番大切なことでしょう。皆さんは、全寮生活をしていますから、このことを実感し、納得するでしょう。
 人にいじわるされ、その人が困っている姿を見て、「ヤッター」と喜ぶような人は、私は最低な人間だと思っています。そういう行動は、動物の世界でも無いと思います。動物は、自分の身を守るため、家族を守るためには、必死に敵と戦います。それは、生きるための手段でもありますから。そうしなければ、こちらが殺られてしまいますから。動物界の生存競争は、そういうものですね。
 しかし、同じ種の動物は群がり、助け合って生きています。貶めたり、罠にはめたりなんかしません。こういう意地悪は、人間だけに見られる醜い姿の現象です。
 皆さんは、人間らしく生きるとはどういう生き方なのかということを真剣に考え、清く正しく美しく生きる松風塾生になって下さい。松風塾高校の教育は、共に生き、共に支えあって生きていく人間を教育していく学校です。そういう生き方に人間の崇高さがあると確信し、青年教育を行っている学校です。このことを自覚し、人間らしく生きていく皆さんであって下さい。
 さて、さっきのプリントの話題に戻ります。
 中国から持って帰った「優れた」という「優」の文字を日本人は、「優しい」と読ませ、優れた人間にとって大切なことは、人の憂いを我が憂いとする優しい心だと解釈してきました。そして、人の憂いをわが憂いとすることができる、優しい心の持ち主こそが、優れた人間の第一の要件だと教えてきたのです。
 私達の先祖は、私達に素晴らしい文化を伝えて下さったと思います。
 人の優しさは、人と人との関わりの中でもっとも大切なことです。皆さんは、全寮制でそのことを身をもって学ぶでしょう。皆さんは、こうした心が身につくように、三年間、松風塾高校で学ぶために入学してきたのです。ですから、寮生活では、三年間漫然と過ごすのではなく、新たなる自己形成を目指して、色んなことに挑戦して、やってみなさい。理想とする人間像を描き、そういう人間に近づけるように努める皆さんであって下さい。
 岩村博士は、もう一つこういう話をしています。
  桜井さんという栄養士が、ネパールのとんでもない山の中に行って、大豆を播いても生えないようなやせた土地で生きる人達の中にねぇ、なんか蛋白質源はないかという調査で、村長さんの家に泊っておられたんだそうです。村長さんも奥さんもお百姓さんご夫妻ですねぇ。そして、十二歳のお嬢ちゃま、そして五歳の坊や。
 この四人家族は、みんなねぇ、自分の畠で採れたまずいヒエのごはんしか食べずに、大事な客人の桜井さんにだけ、高い金を出して買ったお米を食べさせている。
  桜井さんは申し訳ないと思って、我慢して、特に、十二歳のお嬢ちゃまに食べて貰おうと思った。というのは、朝四時半に起きて谷川迄、水汲みに降りていくんですねぇ。カメにいっぱいの水、三十五㎏位の重いのを背負って、また峠の我が家に帰ってきますともう朝七時です。そこで、お母さんの炊いて下さったヒエのごはんをお腹一杯食べて学校へ?いいえ、ネパールの山の娘は小学校を二年か三年でやめて、村長のご令嬢でも働くんです。そしてまた、たきぎを背負って・・・・「あんた、そんなに働いて…小さな腰つきのまま」、そうですねぇ、ネパールの農村では十四、五歳で月経が始まりますと、そのまま娶られていくのが女の子の一生です。そして妊娠、骨盤が発達しておりませんので、難産で死んでしまうって悲しい事故が時々あるわけです。そうなっちゃいけないから、
「あなたね、神さまからいただいた大切な役割、新しい生命を宿し、やがて産み、それから育むという女性の役割が立派にはたせるように、今お腹一杯食べて、体を作ってちょうだい」って、そのお米のご飯を十二歳のお嬢ちゃんの前に出したんですね。そしたら十二歳のネパールの娘はこう言ったというんですよ。
  「私はもう十二歳にもなって、欲しくても我慢することが出来ます。だけど弟はまだ五歳で、我慢することが出来ないから、弟に食べさせてやって下さい」。
  自分の欲しいものを我慢して、自分より小さい者、弱い者のために、おすそわけしてあげられるというその優しい心と実行力は、一体どうしてこの娘さんの身についたのか。「子は親の後ろ姿を見て育つ」。私達はひょっとしたら、経済成長まっしぐら、一生懸命に働きに働いて来て、一体どういう後ろ姿を、我が子達に見せてきたんだろうか。僕は自分を反省したわけです。
  このように配付した資料に書かれています。色々考えさせられる内容が綴られていますから、生きることの意味について考える参考にしてくれればと思います。
                                      (2014.10.24)