錦織 圭選手、全米オープン男子シングルスで日本人初の準優勝に輝く  

  昨日は、天皇皇后両陛下のお見送りのため、全校生徒で青森空港まで出掛けてまいりました。天皇皇后両陛下のお健やかなお姿を拝しながら、空港ターミナルの入り口付近で、道路を挟んだ向かい側の場所に整列し、紙で作った日の丸の小さな小旗を振ってお見送りさせていただき、感無量でしたね。
  松風塾は、昭和三十三年から皇居勤労奉仕を続けてきております。昭和三十九年から昭和新宮殿の工事が始まり、同四十三年に落慶しましたが、この間、皇居勤労奉仕は一旦中止となりました。同四十四年から新宮殿で業務も始まりましたが、松風塾の皇居勤労奉仕を再開させたのは昭和五十一年で、松風塾高校二期生からの再開でした。爾来、再度、毎年実施してきました。それにしても、こうした長期に亘って勤労奉仕を実施している高等学校は、全国の高校の中で、本校だけだと思います。そして、松風塾高校の奉仕団は、いつのまにか「よく働く奉仕団」という異名を取るほどによく働き、皇居内の自然や構内を管理する庭園部の方々からは「頼りにされる奉仕団」としてその務めを果たさせていただいて参りました。
  こうした奉仕団の後ろ姿をご覧になっていた宮内庁からは、やがて皇室にお仕えする卒業生の求人募集が寄せられるようになってきました。現在は、天皇陛下の元へ一人、皇太子殿下の元へ一人、三笠宮家の元へ四人、以前は秋篠宮殿下の元へもお仕えしていました。
 来年一月には、四十期生二年生二十名が皇居勤労奉仕に行くので、天皇皇后両陛下からのご会釈の時には、皆さんでご来青の御礼を申し述べて下さい。
  三年生の有賀靖穂君は、東奥日報の記者からインタビューを受けていましたから、今朝の新聞に顔写真入りでその時のコメントが掲載されています。あとで、正面玄関の入り口の掲示板に掲示されるでしょうから、ご覧下さい。
  皆さんには、九月九日、ニューヨークで開催された全米オープン男子シングルスの決勝で準優勝した錦織圭選手が小学校の卒業文集で綴った「僕の夢」の作文と、産経新聞九月十日の「主張」に掲載された「錦織の全米準優勝」「若き才能の開花に拍手を」との見出しの記事をコピーし配付しました。今日は、その記事を紹介します。まず、作文を読んでみましょう。
       僕の夢
                                         錦織 圭   
 この六年間で一番思い出に残ったことはテニスで日本一になったことです。練習で一生懸命やった結果が出たと思います。
 全国選抜や全国小学生大会、全日本ジュニアの三つの大会で優勝しました。
 一試合一試合を「絶対勝つぞ」と思ってやりました。そして「優勝」までいけた時は、すごく嬉しかったです。
 ぼくは、テニスのラリーが長く続くところが好きです。いろいろなコースに打ちわけ、深く打ったり短く打ったりします。
 チャンスボールがきた時、強いボールを打つのが好きです。決まった時はすごく気持ちがいいです。
 このショットがいつも打てるように練習していきたいです。
 試合に出ることで友達が増えました。友達が増えたおかげでいろいろな話をしたり、いっしょに練習したりできます。
 それもテニスが好きな一つです。
 これからはだれにも負けないように、苦しい練習も絶対諦めずに全力でとりくんでいこうと思います。
 夢は世界チャンピオンになることです。
 夢に向かって一歩一歩がんばっていきます。
 
 凄いね。小学生で「夢は世界チャンピオンになることです」と書いています。
 今大リーグで活躍しているイチロー選手も小学校の時に書いた「僕の夢」で、「プロ野球の選手になる」と書いていました。しかも、小さい頃から練習に練習を重ねてきていましたから、「必ずプロ野球の選手になれる」と、自信をもって書いていた文章でした。錦織選手も「これからはだれにも負けないように、苦しい練習も絶対諦めずに全力でとりくんでいこうと思います」と言い切っていますね。だから「夢は世界チャンピオンになることです」と言い切り、「夢に向かって一歩一歩がんばっていきます」と結んでいるんですね。感動しますね。
 小学生であっても、日々の練習量によって、その選手達の環境によって、指導者によって、世界チャンピオンになるという意気込みを実感として抱き、そのために日々の練習を積み重ねていっているという事実に驚嘆します。
 こうした錦織選手の小学校五、六年生の時の担任教師であった松江市の山根和子先生五五は、自分の目標を生徒達に書かせた時、当時、「ニッコリ」というニックネームだった錦織選手が「テニスで日本一になる」と書いたので、ニッコリは「大きな夢を書いたな」と思ったそうです。すると、「その年の大会で本当に日本一になったので驚いた」と述べていました。しかもニッコリ君は、「控え目で、テニスの話はほとんどしなかった」と話してもいました。そして、「スポーツは何でもできたが、自慢ぶったところはなかった。試合などで三十日ほど休んだけど、遅れた分も含めて自分で勉強していた。努力家だった」とも述べています。
 こうした少年錦織君を見てきた山根先生は、卒業文集に「夢は世界チャンピオン」と綴っていたので、「(ニッコリは)覚悟を決めたな」と思い、その文集から「テニスで生きていくんだという強い意志を感じた」とも言っています。
 錦織選手は十一歳の頃、あの松岡修造さんと試合をして負けた経験があります。その時の錦織選手についての印象を語る松岡修造さんのコメントを紹介しましょう。

  「この僕と十一歳の時にプレーして負けてるわけですよ。で、負けたら僕のところに走ってきて、泣きながら『修造さんもう一回やらしてください』って言うヤツだったんですね。この負けず嫌い度は凄いなって。あんまり表には出さないけど、もう僕もね、どんなことをしても助けてやりたいなって、そういう気持ちにさせる選手なんですね」。

 錦織選手は、子供の頃から大の負けず嫌いだったんですね。
 才能が際立っていた錦織選手は、十三歳で単身渡米し、トップテニスプレーヤーを輩出すIMGアカデミーに留学しました。十三歳で単身渡米するほどの度胸の持ち主が錦織選手だったんですね。当時のことを、次のように語っています。

  「外人の人は背が高いし、それだけでも威圧されるんですけど、言葉が通じないってのもあるし、そこでイタズラをされたり……。訳も分からなく怒られたり……。っていうのはありましたね」。

 錦織選手は、十三歳で単身渡米し、テニス漬けの日々を送っていたんですね。そして、こんな苦労を、苦境を乗り越えたからこそ世界トップレベルの選手と互角に渡り合う精神力が養われたのでしょう。
 錦織選手は、平成二十三年三月十一日の東日本大震災で被災した東北地方を、それから三ヵ月余りたった平成二十三年七月二日に、被災した子供達を励まそうと、岩手県陸前高田市と大船渡市を訪問しました。会場に集まったのは、テニスに取り組む地元の小中高校生計約三百人で、ストロークの練習でボール上げしながら「よし、うまいぞ」と声をかけ、子供達とスポンジテニスに興じ、終始笑顔を見せながら指導したそうです。そして、この時に指導を受けた小中学生達が、この度のテニス四大大会の全米オープン男子シングルスで準優勝に輝いたことに皆感激し、元気を貰っていました。また、錦織圭選手が所属する日清食品の社員の人達二百名も早朝から熱い声援をテレビの前で送っていました。日本中が沸き立った錦織圭選手の快挙でしたね。
 九月十日の産経新聞「主張」に掲載された記事を最後に紹介して、今日の朝会を終えます。みなさんも錦織圭選手に続くように、夢に向かって頑張ってくれることを期待します。

       若き才能の開花に拍手を 錦織の全米準優勝
  テニスの全米オープン男子シングルスで錦織圭が準優勝を果たした。日本人初の四大大会シングルス優勝こそ逃したものの、日米、いや世界中のテニスファンが賛辞を惜しまなかった。
  試合後は滑らかな英語で、「来年もここに来たい」とインタビューに答えた。「ここ」の舞台を指すのだろう。二十四歳の将来は洋々たるものだ。開花する若い才能に拍手を送りたい。
  錦織は日本テニス協会の盛田正明前会長が設立したジュニア育成の奨学生制度を使い、一三歳で単身渡米して技術を磨いてきた。
  超一流プレーヤーへの大きな転機は、マイケル・チャンコーチとの出会いだったとされる。十七歳で全仏オープンを制したチャン氏とは、東日本大震災の復興チャリティーイベントで初めて会った。
 ネットを挟んで球を打ち合い、試合後の対談で「心の弱さ」を指摘された。それが、錦織自身がチャン氏にコーチ就任を依頼するきっかけとなった。
 震災を「次」への契機とする場面を、スポーツの世界で、これまでも多く見てきた。
 サッカー女子代表の「なでしこジャパン」は、被災地のビデオに涙しながら戦い、ワールドカップで優勝した。フィギュアスケートの羽生結弦は自らも被災し、練習拠点を失いながらソチ冬期五輪で金メダルを獲得した。
 仙台を本拠地とするプロ野球の楽天は「見せましょう、野球の底力を」と被災者に約束し、三季の歳月を要し日本一となった。立役者となったエースの田中将大は今季、米ヤンキースに移籍し、錦織が決勝で戦ったニューヨークのスタンドで応援した。
  震災復興の現場で知った「スポーツの力」を、世界に再発信する。これは、東京五輪招致の重要なテーマともなった。
  震災のあった平成二十三年三月、錦織はいち早く、米フロリダ州で多くのテニスプレーヤーと共に、地元の震災チャリティーマッチに出場した。
  呼びかけたのは現在の世界ランク一位、全米オープンの準決勝で錦織と熱戦を繰り広げたノバク・ジョコビッチだったという。
 こういう話を聞くと、スポーツとはいいものだなと、しみじみ思う。さらなる高みを目指す錦織にはもちろん、すべての選手に声援を送りたくなる。
 
  まさに快挙です。私達もこの快挙から元気を貰って、一層頑張っていきましょう。
                                ( 2014.09.26)