教祖さまの御心を感得する大祭日

  秋晴れというのは、気持ちが良いですね。私は十月生まれだからか、秋が一番すっきりします、体もしゃきっとします。食べ物もおいしい時期だしね。人によって様々ですが、私は秋が好きです。皆さんは、どうかな。
 さて、今日は旧八月二十三日(今年は新暦の九月十六日)の大祭日のことについて話してくれと頼まれましたから、そのことについてお話をさせていただきます。資料を揃えましたので、配付しておきました。
 松緑神道大和山にとって旧四月十二日の入山記念日と旧八月二十三日の大祭日は、教団の二大行事です。
 入山記念日では、皆さんにも行事の準備のために奉仕して貰い、参列もして貰いました。 教団の歩みは、入山記念日からスタートしたことになります。一介の市井人であった田澤清四郎が回心し、教祖大和松風へと転身していくことになったのが大正八年旧四月十二日の入山記念日ですね。み神の不思議の配剤を感じられた田澤清四郎氏は、この身の上になにか見えざるみ神の不思議な配剤があると自覚し、それからの生活は修行半分、生活半分の日々となっていきました。
  そして、この年の旧八月二十二日、現在の教祖天小屋で寝起きしていらした教祖さまは、床に就いていらっしゃられながら、
     「明日はわが命日なるぞよ。われは月の神なるぞよ」
と、じつに尊厳と慈愛に満ちたお声をはっきりとお聞きになりました。枕辺から三尺か六尺ぐらい離れている所からの神さまのお声でした。
 そこで、明日がお月さまのご命日であるならばお拝りしなければと思いながら翌日の夜を迎えました。
 この夜は、あいにくの小雨模様に見舞われ、このまま起きていても明日の仕事に差し支えるから今日はこれで寝ようと思われました。そして、
     「月の神さまに申し上げます。今晩は月の神さまのご命日だとおしえられた二十三日の夜でありますが、      このとおりの曇天で小雨が降っており、お月さまを拝むことは面倒かと思います。……明日の仕事にも      差し支えますし、私はこれで休ませていただきます。もしのちほどになって雲がはれ、お月さまが拝める      ようでしたら、……一声かけて起こしていただきとうございます」
とお願いし、九時頃に床に就かれました。それからしばらくしてから目が醒めたので、目を閉じながら何やら考えていらした様子ですが、
 松風山の頂上から光がパッパッと放たれたかと思うと、お船の格好をした二十三夜のお月さまがずんずん昇ってくるのが目に見えるではありませんか。……それがおよそ、五、六間から十間もさし昇ったかなと思われた頃に、今度は別の光明が差しこんで来ました。見ていると、大きな星が一つ昇ってきます。そしてこれら二つの光が一定の間隔をおいて一緒にずんずん昇ってゆくのがはっきり見えました。このとき、
     「この星は九曜の星という神であって、われ、神に使われる神であるぞよ。汝の一生一 代を守る神なる      ぞよ」
 というはっきりした声が響きました。……私は「九つあるから九曜の星の神というのだな」と思い、心の中で一つ二つ三つ四つと九つまで数えました。すると、「そのとおりであるぞよ」と、私の心を見抜くかのように、またもや声がはっきりと聞こえるのです。
 神さまは、こちらが口に出して言わなくとも、人の心底まで見抜きたもうものだと、その時に思いました。
 「大和山
―おいたちとおしえ」の「旧八月二十三日」の章に書かれている一節です。
  教祖さまは、この神さまのお声を聴かれた後に目を開かれました。東の丸窓からはほんのりと明るくなっていた様子が伺われたので、お月さまが出ているのだと思って外へ出ましたら、まだ月は昇っていなかったので、「先ほどの月はまだ昇っていなかった時に見ていた」ことになるので、それは見せていただいたのだと思われたそうです。しばらくすると、お月さまは先ほど見せられた通りの場所から昇ってきました。ご霊示通りに松風山の右肩のあたりから空に昇り、星がそれに次いで昇ってきたのです。現実には星は一つでしたが、霊示で示された星は九つで、しかも一つずつ光芒を発しながら、くるくる回転していたそうです。教祖さまはこれを、「霊的には九つだ」と解されたそうです。
 そして、教祖さまは、
    「私にはお月さまに使われた九体の神さまがついておられ、私の一生一代を護って下さるというのである      から、これから先は何事も心配はないはずだ。だからすべてを抛ち、欲を捨てよう。たとえ、金がなくなろ     うが財産がなくなろうが、そんなことは一向構わぬ。今後は、どこまでも神さまのお道のために生涯を捧      げよう。また神さまからいろいろお告げをいただき、自分の一身上に約束された運命を知らされたのであ     るから、たとえ収入がなくとも、世間からなんと言われようとも、決してあわてふためくようなことはしまい、     と堅く決意し、断乎としてこの道を行こうと心に誓ったのです」
と、旧八月二十三日の体験を述べていらっしゃいます。
 大祭日の夜、お月さまが松風山のあたりから昇ってくる時刻は、大祭日の祭儀の最後に知らせてくれます。そうすると本部の在住者、および参山している方々は、それぞれ自分でお拝りする場所を見つけて遙拝しています。萬霊殿・和光殿辺りの高台から遙拝している方々が一番多いようです。
 ただ教祖さまは、外童子山へ登山する以前から、若い時からずっとご自分の中に一つの思いがありました。これは、配付した資料「教祖さま、大正七年春の頃にご入山された当初のご心境」に書かれています。
 教祖さまにとって大祭日の体験は、神さまの霊声を聴かれた神さまとの出会いの日であり、そのことによって宗教者として十二ヵ年もひたすら修行の道を歩かれ、今日の大和山の基礎を築いて下さいました。その修行を支える内なる精神は一体なんであったかというと、次のように書かれています。
松風、幼より継母に育ち、世の不遇不幸者に同情心厚く、特に貧困者を救う念禁じ難く、大いに富を成し、世の貧困者を救うべく、其の成功を神に祈願したり。
 こうした心から出発しているのです。この目的を果たすために、東京へ家出して、一旗あげようともしました。北玉さまとご結婚後も、妻子を残して上京し事業に取り組もうともされました。しかし、幼い子供二人を亡くされたことを聞いて、北玉さまが気落ちしていることを気遣って青森の実家へ帰ってきたのです。そして、色んな事情も手伝って外童子山へ製炭業の現場監督として登山し、仕事に就きながらも、心の中ではご自身の夢、理想を考えられていたのです。
 それは、物質で人を救おうとしても真の救いにならない。もしこの世に神があるならば、この神の力をもって世の不遇者を救っていこう、というふうに思いを固めて、大正七年春の頃から外童子山のこの場所で過ごされていたのです。そうして大正八年の旧四月十二日の入山記念日、旧八月二十三日の大祭日という神さまとの出会いの体験が用意されていたのです。
 この体験によって教祖さまは、宗教者として回心し、教祖大和松風として生まれ変わったのです。神が実在するならば、その神の実在を示して、神の力をもって世の不遇者、病める者を救っていこう、神の正しき道を世に示して世直しへの道を歩いて行こうとされ、教団の基礎を築かれました。それが初代教主さま、二代教主さまへと受け継がれ、そして教主大和松園先生が今私たちを導かれ、立教九十六年の今日を進んでいるわけです。
 宗教には、現世利益、つまり病者を治し、悩んでいる心を癒やし、救いを人々にもたらしていくことによって信者を増やしていくという側面があります。それは神在るという事実を人に示すための大切な方便でもあります。その体験によって人が救われていくならば、素晴らしいことだと思います。神が実在すると思えばこそ、神の理想を、神の心を、この世に具現化していくことに使命観が抱かせられます。信仰への目覚めが促されます。教祖さまのそうしたお力によって、直門の弟子の人達が集まり、ここ本部が開墾開拓され、約四万近い信者さんを要するまでの教団になってきたのです。その信者になられた方々の縁で、今皆さんも松風塾高校で学んでいるのです。
  松風塾高校は、神示の国柱地塩を建学の精神に掲げ、塾生一人一人がこの日本を支えて行く日本人になろうということを謳っています。戦後の占領政策によって失われてきた日本人の精神を復興させよう、皇紀二六七四年と連綿と続く皇室の伝統を国の柱としてきた日本民族の精神を守っていこうという青年を育成するために開かれた高等学校です。その精神は、私達の祖先が築いてきた日本人としての生き方、人間としての生きる道であり、子孫に伝えていく道でもあります。
 その道は敬神崇祖であり、神在るという信仰を柱にした人として歩む道であり、そこに築かれる道義国家の樹立でもあります。こうした人の道は、覚醒した一人から開かれていくものであります。
 皆さんは、国柱地塩を願った創立者田澤康三郎先生の願いを継承し、われもまたその一人として生きていこうという覚悟を決めて歩んで行く人であって下さい。そのことを期待し、今日の朝会とします。
                                ( 2014.09.12)