ISS船長に初の日本人誕生で、子供達に宇宙の夢広がる

 今年の五月十四日午前十時五十八分、若田光一さんが国際宇宙ステーション(ISS)の船長を務め、ソユーズ宇宙船で中央アジア・カザフスタンに半年ぶりに帰還しました。
 若田さんは、国際宇宙ステーションの船長として日本人初の就任で、船長として勤めた二カ月間と合わせると半年という長期に亘ってのISSの滞在も初めてだということでした。
 若田さんは、「和の心を大切に、日本らしさをもって業務に当たりたい」と抱負を述べ、三月九日船長の任務に就きました。船長の最重要任務は、火災など緊急時に安全確保の指揮を執ることでした。毎日の起床後と就寝前に、任務規定にはない船内の見回りは期間中欠かさなかったそうです。日本人らしい几帳面さと、責任感をそこに感じます。
 こうして船長としての任務を終えた若田さんは、
    世界各国のパートナーの素晴らしいチームワークのおかげで任務を全うできた。色んな国の人達が力を      合せて一緒の目標に向かって仕事をすることで、ステーションのような素晴らしいものができると感じた。     今回、半年間で地球を三千周くらいした。一周するのにたった一時間半だが、地球は掛け替えのない古里    だと感じながら、半年間宇宙で過ごした。
と感想を述べていました。
 産経新聞の「主張」にも、「若田さんの帰還」「成果を未来の宇宙構想に」という見出しで紹介していました。
    日本は二〇〇九年にISS実験棟「きぼう」を完成させ、米スペースシャトルの引退後は大型物資輸送を担    っている。今回の若田さんの活躍で日本の技術と飛行士の能力に対する世界の信頼は、一層確かなもの    になった。
    宇宙開発や加速器実験などの巨大科学は、国際協力が不可欠な時代を迎えている。若田さんがチームを    まとめた「和の心」は、今後の国際的プロジェクトで日本が信頼され、存在感を高めるうえでも重要な指針     となるだろう。
    そして、米国は、三〇年代の有人火星探査を見据えてISSの運用延長を提案し、中国は独自の宇宙基地    建設を目指している。
    日本では、ISS後の有人活動の在り方など、宇宙開発の将来に関する議論が止まったままだ。
    独自の有人宇宙船とロケット開発を目指すのか。小惑星の探査機「はやぶさ」のような無人探査技術に特    化して世界をリードするのか。現在のISSを最大限に活用するためにも、宇宙開発の長期構想を早急に描    く必要がある。
と課題も提示しています。日本の宇宙開発の展望を国民に示すためにも、長期構想を描くことへ期待を託したいと思います。それは、
    「若田さんの活躍を契機に議論を深め、次世代を担う子供達の『夢』につなげたい」。
という「若田さん帰還」に寄せた「主張」筆者の結語に記した、「次世代の子供達の『夢』へつなげたい」という思いを、今を生きる大人の責任として共感するからである。
 次の船長の候補は、日本人の油井亀井也さん(自衛隊出身)が挙げられています。
 こうして、日本人が宇宙開発の調査だけでなく、船長も務められるようにもなってきたということは、日本人の資質・能力が認められてきたということで、素晴らしいことだと思いますね。地球を一単位にして宇宙というベクトルでの仕事に対し、日本人が貢献できているということは、若い皆さんにとっても勇気づけられることと思います。そして、青少年の将来の夢が宇宙飛行士ということを身近に感じ、志向できる時代にもなってきたということは、本当に素晴らしいことです。
 宇宙が私達人間と関わりを持ち、宇宙を生かし生かされていく時代が間近に迫っているということに、胸がワクワクします。これから、どのように宇宙開発がされていくのでしょうか。まるで、未知の世界の探求で、夢が膨らんでいきますね。そうした壮大な宇宙のロマンに、人類が一丸となって取り組んでいこうとしているのですから、大いに未来に期待したいと思います。
 皆さんに配付した資料は、今年五月十五日の新聞の記事ですが、若田さんのコメントや、船長としての役割と働き、そして、将来の課題と展望などが記されていますので、役立てて下さい。これからの地球がどういうふうにして宇宙と関わっていけるのか。それに対して日本人がどういう役割を果たし、これからも果たしていけるのか、果たせるのか、ということを知る手がかりとなるでしようから、学習の教材にして下さい。
 よく創立者田澤康三郎先生は、「着眼大局・着手小局・Think globally and act locally」と仰っていました。目先のことばかりに捕らわれず、視野は世界大に、今だと宇宙大だ、視野を広く見ながら、足下の生活をしっかりと確実にやっていくことが大切だとご指導して下さいました。
 皆さんも、理想や夢、崇高な願いを抱きながら、今為すべきことをしっかりとやり遂げる人となって下さい。建学の精神に誇りを持って、青年期の今を鍛錬していく高校生として生きていく人となって下さい。青年期のそうした意識というのは、卒業後の人生においても生き続け、力になっていくと思います。
 私も高校時代に、当時は小松風先生でしたが、創立者田澤康三郎先生の講話を青年部夏期修行会でお聴きし、覚醒を促され、それが今日まで続いています。青年期の心根というのは、それほど人生の核となり、大きく影響を及ぼすのですよ。だから、今を大事にして下さい。
 一九六一年、ソ連は人類初の有人宇宙飛行を実現させました。その時の宇宙飛行士は、ユーリイ・ガガーリンでした。彼が述べた「地球は青かった」という言葉は、今も日本人の心に残っているし、 海外では「神はいなかった」という言葉の方が伝わっているとのことです。
 こうしたガガーリンの宇宙から帰還し述べた所感は、今も一人歩きしていると指摘されていますが、次のような対話も残っています。
 それは、宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティーでのことです。パーティーに招かれたロシア正教のモスクワ総主教アレクシー一世は、ガガーリンに「宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか」と尋ねました。すると、ガガーリンは「神の姿は見えませんでした」と応えました。すると、総主教は「神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように」と述べたそうです。しばらくしてから、今度はフルシチョフがガガーリンに同じことの内容を尋ねられたそうです。その時、ガガーリンは、総主教との約束を思い出したので先ほどとは違う「神の姿が見えました」と述べたそうです。すると、フルシチョフは「神の姿が見えたことは誰にも言わないように」と、ガガーリンに述べたとのことです。
 社会主義国家ソ連ならではの神の実在をめぐる問答であったと思います。
 一方、一九六九年七月十六日、アメリカが打ち上げたアポロ11号宇宙船で、人間として初めて月着陸を果たした飛行士ニール・アームストロングは、同僚のマイケル・コリンズ、エドウィン・オルドリンと共に月面に降り立ちました。彼はそこで、月面を歩いていて、「手を差し伸べれば、そこに神がいるような気がした」と実感し、地球に帰還後、宣教師となって世界を駆け巡り、神が実在することを述べ伝え、人生を伝道に費やしました。ソ連とアメリカの宇宙飛行士の違いが興味深く感じます。
 本題に戻ります。日本の宇宙開発の技術は、今までは立ち後れていたようですが、今は、世界のトップレベルだそうです。そして、今年度から新型ロケットの開発に取り掛かり、二〇二〇年にその初号機を打ち上げる予定だそうです。二〇三〇年には、アメリカが火星での有人飛行を成功させるよう計画を立てているそうです。
 二〇三〇年というと、皆さんは三十~三十三歳ですね、働き盛りの年齢になっていますね。皆さんは、火星に旅行できる可能性がある世代ですよ。
 神武天皇が初めて天皇に即位した時に、「六合を兼ねて都を開き、天の下を掩いて宇となす」と宣言して、初代天皇に即位されました。
 神武天皇は天皇に即位した時、宇宙の秩序をこの地上に表していこう、そして世界を一つの家族のような和合の集団にしていこう、と宣言されました。これが日本開闢の、建国の理想です。他国を侵略してやろうとか、日本が唯一だというのではないのですよ。
 世界の人々がみんな家族のように仲良くすることを国家の理想として、日の本の国造りをしていこうというのが日本国家淵源の理想なのです。それが、初代天皇が即位した時の一番の理想でした。
 歴史を経て、だんだん宇宙へ日本人が直接行くようになり、宇宙の秩序を形作っていけるような立場にも少しずつなってきたような気がします。若田さんが宇宙ステーションの船長になったり、来年六月の予定では油井さんが宇宙ステーション船長として宇宙開発の計画が進められているようです。 
 日本で宇宙開発の計画を進めている宇宙航空研究開発機構・JAXAの奥村直樹理事長がこういうことを仰っています。
 「教育は原点を教えるべきだ。その原点とは素養だ」と。素養というのは、「普段から練習や訓練を積み重ねて身につけた教養技術」という意味です。
   「かつて日本人は、礼節に満ちた民族と知られていた。江戸時代の末から明治時代に来日した多くの外国人は、親切と誠実に満ちた日本社会の在り様に驚き、その様子を書き残している」と、フリージャーナリストの櫻井よしこ女史は『日本の論点2008』に書いています。そして、一八五六年に来日したタウンゼント・ハリスは日本人が創り上げた「質素と正直の黄金時代」と言うべき社会に驚嘆し、日本人の「皆、幸福そう」な姿、「富者も貧者もいない」「恐らくは人民の本当の幸福な姿」を、『日本滞在記』で絶賛しているとも書き記しています。
  また、江戸時代前の一六四九年に来日したフランシスコ・ザビエルは、日本人について「この国の人々は今までに発見された国民の中で、最高であり、日本人より優れている人々は、異教徒の間では見つけられないでしょう」とし、特に武士も、町民も、貧しいことを不名誉と思っていないことに驚きを感じていたようです。特に、武士は名誉を重んじ、侮辱されたり軽蔑の言葉をかけられることには我慢出来ないとし、武士も町民も含め、恥を嫌うのが日本人であることを、ローマへの手紙の中に記しています。
  こうした日本人の古き良き姿が、戦後日本の姿から消えていくことに創立者田澤康三郎先生は、「日本独立の危機は戦後三十年後に来る」として、その時に備えるために松風塾を開塾開校したことは、皆さんもよく理解している通りです。
  奥村JAXA理事長が「教育は原点を教えるべきだ」と述べていることは、こうした人間の生きる根幹をなす価値観を見直すべきだと説いているのだと理解します。その価値観の上に初めて知識が身につくと、生きた知識の活用が出来るということです。知識の活用の仕方が分からずに知識を頭だけで理解していくと、医者がその技術を持って恣意的に病人を殺すようなことと同じです。
  自分の感情の方が先に立ち、患者を二の次にして治療すると、患者は死に到りますよ。そういう事件も現実に起きているのですから。最近もまたニュースでそのような事件が報道されました。
  奥村JAXA理事長は、「世の中の変化が速い時代では、これまで得た細かい知識ではなく、「学ぼうとする力」「学んでいく力」が必要だと思う」と述べています。そして、「問題解決の力を養うことだ」とも述べています。
 「学ぼうとする力」「学んでいく力」は、やる気が無いと湧いてきません。何事もそうです。やる気のない人は、何をやっても中途半端になってしまい、やったことを成就させることが出来ないのです。
 奥村理事長は、自分が一番好きな本としてチャールズ・ダーウィンの『種の起源』を紹介しています。その中に、「強いものが生き残るのではなく、変化に対応できるものが生き残る」と、記しています。そして、「この考え方は今の時代にも生きていると思います。変化に応じて自分が変わらなければならないということです」とし、そのためにも「学ぶ力」が大事だと、喝破しています。
  我執に囚われず、真理に常に心を開き、探求して行きましょう。しかし、人間として失ってはならない価値観、人は皆支え合って生きているという関係を決して失ってはいけません。この根底を失って知識のみを優先して学んでいっても、その知識は人を幸せにしません。逆に、人を不幸に陥らせてしまうでしょう。
  皆さんは、夢を持って大きく伸び、人を幸せにしていくために学び、世のため人のために役立つ人となるような人間に成長して下さい。その為に学びの力を培い、学んでいく人となって下さい。
  日本は、宇宙の秩序を地上に再現することを理想として建国された国であることに誇りを持ち、それに相応しい日本人となっていくように勉強していきましょう。
                                ( 2014.07.18)