「面倒だからしよう」という生き方に学ぶ

 一年生は弘前の観桜会どうでしたか。楽しかったでしょう。今朝、五光館三階で松華さまとお会いしたら、おみやげのお菓子のお礼を言ってました。喜んでいらっしゃいましたよ。そして、生徒の代表者が観桜会の報告もしてくれ、「桜の絨毯の上を歩いて見学してきました」と言ったそうですね。その表現にとてもお喜びでした。
 弘前の桜は何本あるでしょうか。種類は、ソメイヨシノを中心にヤエベニシダレとシダレザクラなど咲き誇り、その数は平成十九年四月現在で五十三種で約二千六百本だそうです。
 弘前の桜は、「日本一」と称されていますので、県外から来た生徒さんはせっかく青森県に来たのですから、「弘前の桜」を堪能できたことは良い思い出の一つになったと思います。どうぞ、心にとどめておいて下さい。卒業し、やがて家族が出来たら、弘前公園へまた花見に行けば良いですね。家族での良い思い出になると思います。
 応援団の人達の研修会があったのは、一昨日かな。その時の様子がニュースで報道されていました。最初、他校の応援団の演舞披露が報道されていましたから、本校の応援団は映らないのかなと思っていたら、最後の締め括りの場面で映し出されました。団長の荒関冴佳さんがアップで映っていましたし、二年生の須藤尭夫君もアップで映し出されていました。皆、凜々しくキラキラした目が印象的で、「松風塾の応援団ここにあり」という感じでした。なんたって松風塾は、全校生徒五十二人の日本屈指のミニ高校だ。しかし、「大鳳の志、焉んぞ燕雀の知るところならん」という気概を持って、やるべきことをやり遂げていきましょう。体は小なれど「大鳳の志を知るところならん」との覚悟で勉強し、国の柱地の塩、世の光とならんという気概を持って力をつけていって下さい。
 青年期の志は、まず、理想とする人間像を描き、そして、世のために働ける人間になろうと決意することです。世は、その一人の人を通じて清められていくのですから、皆さん各自がその一人となる使命があって本校に引き寄せられてきた人達ばかりです。世の中を良くしていくことは、誰かがやるんだろうと思っていては誰も動きません。自分がやろうと思う人がその地域に一人いれば、その一人によってその地域はきちんとモラルが保たれていくものです。日本がモラルを保ち続けられていられるのは、そういう人材が地方にきちんといるからです。要は、一人からすべてが始まるのです。大鳳の志を抱いて、三年間自分に力をつけるために努め、卒業式には大空へ巣立って行って下さい。
 皆さんに配付した資料は、朝会ノートに貼って読めるようにして下さい。
 渡辺和子先生は、ノートルダム清心学園の理事長です。今も授業をしていらっしゃいます。
 渡辺先生が最近書かれた『めんどうだからしよう』という著書の冒頭に、こういうことが書かれていました。
 大学で「道徳教育の研究」を担当していた時のことでした。学期末テストの監督をしていた私は、一人の四年生が席を立ち上がってから、また何か思い直して座る姿に気付きました。九十分テストでしたが、六十分経ったら、書き終えた人は退席してよいことになっていたのです。
 座り直したこの学生は、やおらティッシュを取り出すと、自分の机の上の、消しゴムのカスを集めてティッシュに収め、再び立ち上がって目礼をしてから教室を出て行きました。
 私も宗教の授業で、田澤康三郎記念館で感想文を書いて貰うと、必ず生徒は机の上にある消しゴムのカスを手のひらに集めて、ゴミ箱に捨てています。誰も床にバーッと散らかしていく生徒はいません。いつも感心して見ています。
 渡辺和子先生は、その時、「面倒だからしよう」という言葉を合言葉に学生に色々指導していたのだそうです。ですから、その学生の態度を見て、「この四年生は、それを実行してくれたんだ」と思い、非常に喜んだそうです。そして、次のように続けています。
 消しゴムのカスをそのままにしておくのも、片づけて席を立つのも、本人の自由です。しかし、よりよい選択ができる人たちを育てたい。安易に流れやすい自分と絶えず闘い、面倒でもする人、倒れてもまた起き上がって生きてゆく人を育てたいのです。
 心に染み入る文章ですね。確かに机の上の消しゴムのカスをそのままにしていくのも自由、周りの環境をきちんと整えていこうと集めてゴミ箱に捨てるのも自由。どちらを選択するかは本人次第です。
 創立者田澤康三郎先生が真の自由について、このように説いています。『松風塾高校の教育とは』の中に記しておきました。
 自由とは、自分の権利だけを主張していくのではなく、きちんと責任ある行動、生き方をし、自分の義務を果たしていけることだ。そういう人間が真の自由と言うことになる。
 どちらかを選択するのは自由です。しかし、そこをよりよく選択が出来る人達を育てたい。それが生きて行く人間の、真の自由だと言うのです。
 集団生活の中で皆さんは、真の自由とは何かということが、問われている筈です。よりよく生きるということは、自分中心に生きようとする傾向と闘うことです。人は誰でも楽な道を歩もうとする。しかし、そんな自分に打ち勝つ強い心を持つことが、人間にとって大切なのです。?面倒だからしよう?という本には、こうした話題が納められており、自分を見直す良い機会となりました。
 成田校長先生は、礼節日本一を掲げて皆でそれに向かっていこうと呼びかけました。すると、生徒会長の千葉達生君も、それに呼応して笑顔に満ちた学校にしようと、皆さんに呼びかけました。良いタイミングでしたので、次の詩を読みます。
      ほほえみ
   ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが
   相手にとっては非常な価値をもつものだ
   ほほえまれたものを、ゆたかにしながらも、
   ほほえんだ人は何も失わない
   フラッシュのように、瞬間的に消えるが、
   記憶には永遠にとどまる
   どんなにお金があっても、ほほえみなしには貧しく
   いかに貧しくても、ほほえみの功徳によって富んでいる
   家庭には平安を生み出し、社会では善意を増し
   二人の友のあいだでは、友情の合言葉となる
   そしてほほえみは
   疲れたものには休息に、失望するものには光になり
   悲しむものには太陽、さまざまな心配にたいしては、
   自然の解毒剤の役割を果す
   しかも買うことの出来ないもの、頼んで得られないもの
   借りられもしない代わりに、盗まれないもの、
   何故なら自然に現れ、与えられるまでは、
   存在せず、値うちもないからだ
   若しあなたが、誰かに期待したほほえみを、
   得られなかったら、不愉快になるかわりに
   あなたの方からほほえみかけてごらんなさい
   実際、ほほえみを忘れた人ほど
   それを必要としているものはないのだから
 「礼節日本一。笑顔に満ちた、明るい学校にしていこう」ということを目指して松風塾は二年目になります。生徒一人ひとりがそういう人となるように、一人からまずその態度を、行動を起こすことによって、礼節日本一につながっていくのです。一人の行動によってその目標が成就していくのです。
 日本は、国民一人ひとりがしっかりしなければ、良くなりません。国の柱、地の塩、世の光となるために、皆さんは笑顔で相手をほほえませたら、その人はその笑顔によって生きる力を得ていくことができます。人は、挨拶をされ、ほほえまれたら、頑張ろうと思います。だから、お互いに相手のために微笑みを掛ける人になっていきましょう。それが校長先生が今掲げている礼節日本一に答えていく道です。
                               ( 2014.05.02)