東京オリンピックに向けて奮起する中高校生達に期待

 今、ロシアのソチで冬期オリンピックが開催中です。テレビの番組ではそのニュースで持ちきりです。残念だったのが十七歳の高梨沙羅さんでした。沙羅さんは、スキーのジャンプで金メダルの最有力候補だったのですが、四位に終わってしまいした。二回のジャンプとも惜しくも追い風となって、それをうまくこなすことができなかったようです。
 沙羅さんの魅力は、まず笑顔ですね。そして、あのあどけなさに何とも言えない親しみを感じていました。
 しかし、四位となったときの新聞報道の写真は、まともに見られなかったです。落胆した様子の顔が、まともに見られなかったです。でも、今回の苦渋を舐めながらも、「四年後には、今度こそ今まで応援して下さった方々に対して感謝の気持ちを伝えられるように、金メダルを勝ち取った姿を見せられるように頑張っていきたいと思います」とのコメントを述べていましたので、思わず心の中で、「頑張れ」と叫んでしまいました。
 テレビの画面で、二回目のジャンプが終わった後、ポコッとお辞儀をして会場から去って行った姿を見た時は、アレッと感じ、何とも言えない気持ちが湧いてきました。どうしたんだろうと思ったのです。そのあと、順位の発表があったのですが、多分失敗したということを自分で感じていたのでしょうね。でも、きちんと礼を尽くして会場から去って行った姿には、何とも言えない気持ちを、テレビで応援していた多くの人達が感じたのではないかと思います。
 彼女はまだ十七歳です。その彼女は、ここ一、二年の間、世界のトップをずっと走ってきた世界のジャンパーですから、こうした経験も今後の選手生活で、大きく成長させていくステップになるでしょう。それを期待して、今後の活躍を見守っていきたいと思います。
 今回のソチオリンピックで新たな話題になったのは、スノーボードで銀メダルを獲得した平野歩夢君です。平野選手は、中学三年の十五歳です。そして、平岡卓君が、十八歳の高校三年生で銅メダルを獲得しました。スノーボードで、日本の選手が銀と銅メダルを勝ち取ったのです。しかも、中学生と高校生です。スノーボードという種目は、若年層種目なのでしょうね。
 この平野選手は、五歳の頃からお兄さんがやっていたスノーボードを見よう見まねで始めたそうです。そして、小学校の時にもうすでに世界の話題を呼んでいたようです。ですから、小学校時代からオリンピックを目標に頑張ってきた。小学生の頃から、目標はオリンピックと決めて練習してきたんですね。
 もう一人の平岡選手は、小学一年からスノーボードを始め、めきめきと才能を伸ばしていった選手だそうです。ですから、平野選手同様、小学生時代にオリンピックを目指して練習を重ねてきたそうです。
 インターネットで平野選手のプロフィールを調べたら、次のように紹介されていました。
 新潟県村上市でスケートパークを運営する父親の元に生まれた。四歳の時に三歳年上の兄の影響でスケートボードを始めると、その半年後にはスノーボードを始めた。福島県南会津町の会津高原南郷スキー場や、山形県小国町の横根スキー場でドロップインからラインどりの練習を行った。その後、小学四年にスノーボードメーカー、バートンと契約し、二〇一一、一二年のUSオープン・ジュニアジャムで連覇を果たした。二〇一一年三月、アメリカバーモント州ストラットンで行われたUSオーブンの決勝で十三位に入った。わずか十二歳から世界で活躍!
    十四歳で出場した二〇一三年一月に開催された、世界最高峰の大会であるXGamesでは、難易度の高い技を他のトップライダーが繰り出す中、圧倒的なエアの高さと、パイプ内でのパーフェクトな動きで銀メダルを獲得した。同年二月にはスイスのラークスで行われたバートン・ヨーロピアンオープンで優勝した。同年八月にはニュージーランドで行われたW杯開幕戦で、史上最年少で優勝を飾った。
    二〇一四年のソチオリンピックは、二月十一日に行われた決勝で一回目九〇・七五点、二回目九三・五〇点をマークし二位につけ、銀メダルを獲得した。十五歳でのメダル獲得は冬季五輪では日本人史上最年少記録であり、また同じく日本人選手の平岡卓の銅メダルと共に、日本人史上初のスノーボード競技のメダル獲得となった。
 二人とも、友達と遊んだ経験はあまりないそうです。少年時代から練習に明け暮れた生活を送ってきたし、今もそういう生活を送っているそうです。目標をしっかりと持てば、その目標に向かって脇見せず進んでいく、それがオリンピック選手達の宿命なのかも知れません。
 銀メダリスト平野選手の、「四歳から今までやってきたすべてを出し切れた」とのコメントからは、十五歳ながら試合度胸の良さ、勝負強さを思わせるものを感じます。
 名前の歩夢は、「夢に向かって歩んで欲しい」との両親の願いが込められた名前だそうです。次回、二〇一八年の冬季オリンピックでの活躍が更に楽しみですね。
 二〇二〇年は、東京オリンピック(夏季)が開催されます。四年後の二〇一八年の冬季オリンピックは韓国のピョンチャンで開催されます。
 二〇二〇年の東京オリンピックを目指して、日本の中学生、高校生は、必死で厳しい練習に取り組み、頑張っているようです。テレビの特集などでよくその様子が見られます。二〇一六年は、ブラジルのリオデジャネイロで第三十一回オリンピック、その四年後に第三十二回東京オリンピックです。東京オリンピックまではあと六年ですから、その時に中心となるのが、今の中高校生です。だから、日本の中高校生達は今、将来のアスリートを目指して、その目標に向かって必死に練習に取り組んでいるのです。良いですね。日本の中高校生が燃えて頑張れば、日本の将来は盤石ですよ。そのようになって欲しいと思います。私達教育者は、その願いを持って、それが聖職者・教師の使命だと思って日々努力し、頑張っているのですから。今は、二〇二〇年に向かって私達教師も燃えて頑張りたいと思います。
 三年生の中には、東京オリンピックの時、通訳のボランティアとして働きたいと目標を持って、今から英語の勉強に真剣に取り組んでいる女子生徒もいます。オリンピックを中心に、それに関連する人達が、今からその時に対応できるよう目標をもって勉強に励んでいる中高校生が全国にいるんですよ。皆さんもこうした動きが日本で起こっているということを励みに頑張って下さい。だから、私達も負けていられないですよ。同世代の人達が二〇二〇年の東京オリンピックに向けて、今からその対応のために準備に取りかかり、研鑽に励んでいるというのであれば、私達も今からなすべきことをことをしっかりとやり遂げていこうと決意し、日々の生活を全うしていきましょう。
 皆さんにオリンピックの選手になれというのではありませんよ。今、十代の中高校生が、高い目標に向かって本気になって練習に励んでいる、努力している、という事実を忘れないで欲しいと思って話をさせて貰っているのです。オリンピックの選手だけでなく、それらに関わる様々な分野で、東京オリンピックを支えていこうと、自分でできる目標を立てて今からその準備に取りかかっている人達がいるということを理解して欲しいということです。既に、本校にも、それを目標にして英語力をつけるために勉強に励んでいる生徒もいるのですから。どうぞ、高校生活を意義あるように、今をしっかりと生き、頑張って下さい。
 さて、スノーボードの平野選手は、父親から「基本的な挨拶とか、周りに迷惑をかけないような人間になれ」と、厳しく躾けられてきたそうです。決してスノーボードだけをやってればいいのではないのですよ。お父さんが一番大事にしているのは、そのスポーツを通して培われる礼節な精神なのです。いくらスノーボードが上手くても、礼儀・礼節が備わっていない選手はアスリートとして、スポーツマンとして失格だということです。私もそう思っています。
 角界では心技体を基本精神としていますね。最初に大切なのは心なのですね。心技体ですからね。ここが大切なところです。優れた選手は、大抵礼儀正しい、礼節をわきまえた人達が多い。スポーツ解説者としてマスメディアに登場する人達からは、その様子が伝わってきますよ。だから、スポーツの解説者はさわやかなんでしょうね。
 平野選手のお父さんは、平野選手が幼児の時から一生懸命育成に取り組んできたようですし、お母さんは食事の面でしっかり守ってきたそうです。本校の女子生徒も将来のお母さん予備軍ですから、料理は大事だということを家庭科でしっかりと学んでいって下さい。家庭で奥さんが、おいしい食事をご主人や子供達に食べさせるようにして守っている家庭では、子供達も健全に、健康的に育っていきます。このことを、特に、女子生徒はしっかりと覚えて下さい。
 今日配付した朝会用のプリントをご覧下さい。
   若くして学べば壮にしてなすことあり。
   壮にして学べば老いて衰えず。
   老いて学べば死して朽ちず。
 これは、幕末の頃、佐藤一齋という儒学者が、吉田松陰等も含めて当時の時代を切り開いていこうとする青年達に与えた訓戒です。現代語訳してみましょう。
    若くして学べば、大人になって世のため、人のために役に立つ人間になる。
    壮年になって学べば、年をとっても衰えない。いつまでも生き生きしていられる。
    老いて学べば、死んでもくさらない。その精神は永遠に残る。
 本校の創立者田澤康三郎先生は、まさにそのように生きた方でした。
 平成九年一月二十二日、田澤先生は、午前中はいつものように学校での用務を済ませ、午後は教団の用務である祖霊を祀る礼拝をいつものように済ませ、それから教務室で、「疲れた」といってソファーに横になられ、昼寝をされました。そして、一時間ほど経ったら秘書の方が普段と違った様子なので、側に行って声をお掛けしたのですがなかなか目を覚まさないので、これはおかしいと思い、すぐさま救急車を呼び寄せ、病院へ搬送しました。最初は平内中央病院、それから県立総合病院へと搬送されて入院となり、様子を見ていたのですが、その日の午後十一時五十五分に、そのまま国替えされてしまいました、午後のお昼寝したままの状態での国替えでした。
 しかし、国替えされても、創立者田澤先生が遺して下さった教えは、今も脈々と私達の心に生き続けています。勿論、本校の教職員も同様です。だからこそ、本校で教師として勤めているのです。こうした事実が、人間の命のつながりということだと思っています。
 皆さんも、「若くして学べば壮にして為すことあり」という箴言を座右の銘とし、今をしっかりと学んで過ごして下さい。そうすることによって、自分の将来の有り様がそのことによってしっかりと築かれていきますから。でも、人間には、人生の波があります。その時のために、次の言葉を紹介します。
    心さえ折れなければ、努力を続ける者は必ず幸運を呼ぶ。
    心さえ折れなければ、あらゆる逆境はその人の足腰を強くして飛躍の時をもたらす。
 若い時は、特にこういう言葉を大事にして過ごして下さい。心さえ折れなければ、逆境は自分を鍛錬していく一つの糧になっていくのです。一、二年生は、この言葉を心の柱に据え、頑張って下さい。そして、四月に入学してくる新入生を迎えて下さい。皆さんの姿を見て、「先輩は、すごい」と感服し、皆さんの指導に倣ってくるような先輩になって下さい。
                       (2014.02.14)