教育勅語の見直しが始まっている               ー道徳教育復興のためにー


                                                  
 昨年の産経新聞五月十一日の紙面に、『「道徳議連」来月発足』「超党派、教科化を後押し」という見出しで、大要次のような記事が掲載された。
 「人格教育向上議員連盟」(会長・下村博文文部科学相)が六月上旬にも発足することが十日、分かった。明治23 年に発布された教育勅語を参考として教育のあり方を根本から見つめ直し、政府内にある道徳の教科化の動きを後押しする狙いだ。(中略)議運発起人の一人は「子供のときは、知識の詰め込みよりも人格、教養を高めていくべきだ」として、道徳の必要性を訴えている。
 会長の下村文部科学相は、教育勅語の十二の徳目について「今でも十分に通用し、中身は普遍性がある」と語っており、議連では教育勅語の精神を道徳教育にどう生かすかも議論する考えだ」と述べている。しかも、親のモラル低下も最近の教育問題の一つとなっているので、規範意識を親世代にも浸透させるために、道徳教育へ親の参加の是非などに関しても意見交換する、方針だとのこと。
 日本人の道徳心については今年に入ってからでも、一月末に女学生(19)が「人を殺してみたかった」と猟奇的殺人を起こしたり、中三の男子が「誰でもよかった。人を殺すのが目的だった」と路上で中年女性の背中や足を包丁で刺したり、十九歳の少年が商店のお菓子につま楊枝を刺したり万引きした様子を撮した動画をユーチューブに公開したりと、奇怪な動機の犯罪が報道され、しかも、そういう事件が珍しくなくなっているということに、社会的病理現象を強く感じる。 
 それが為に小中学校で道徳教育が急がれているのであろう。
 本校では、週に一度、朝会で教育勅語を全員で奉読し、宗教の授業でも、一年次に教育勅語の意義と意訳を勉強している。 その内容を要約して紹介する。 教育勅語は、三つの構成からなっている。一つは日本建国の由来と、悠久な歴史の中で培われてきた国風(くにぶり)・国柄の美風を教育の根源とすることだ。天皇を国体の中心に据えてきた日本の長い歴史の中で、私達の祖先が建国以来大事にしてきた徳目は、人の守り行うべき道で、その道よって成り立つ道義国家の樹立であった。それを教育の根源とするということだ。
 二つ目は、その為に国民として遵守すべき次の十二の徳目がある。
@孝行(子は親に孝行しましょう)
A友愛(兄弟姉妹は仲良くしましょう)
B夫婦の和(夫婦はいつも仲睦まじくしましょう)
C朋(ほう)友(ゆう)の信(友達はお互いに信じあいましょう)
D謙虚(おごり高ぶらず、 慎み深くいたしましょう)
E博愛(博くすべての人に愛の手を差し伸べましょ う)
F修学・修業(勉学に励み、職業を身につけましょう)
G智能啓発(智徳を養い、 才能を伸ばしましょう)
H徳器成就(人格の向上に  つとめましょう)
I公益世務(社会のためになる仕事 に励みましょう)
J遵法(法律を守り、社会 の秩序に従いましょう)
K義勇(正しい勇気を持って国のために尽くしましょう)
 三つ目は、この十二の徳目は、私達祖先の教訓であり、それは歴史的にも世界的にも通用する普遍的な価値・真理であるから、天皇も国民も共に一体となって努力し、人格向上につとめていこうというのだ。
 政府は、昨年二月の中央教育審議会(中教審)総会で、道徳の授業を小中学校の正式な教科にするよう諮問しており、昨年十月二十一日、下村文部科学相に、道徳の時間を教科に格上げし、検定教科書と評価を導入するよう答申した。これを受け文部科学省は、教科書の作成から使用までに三年かかることから、道徳の教科書を使用しての授業は平成三十年度から実施すると予定だと発表した。戦後七十年の快挙といえよう。
  戦後、GHQは、日本弱体化図るため、教育勅語を教育現場から廃止させた。それから戦後七十年を経た今、教育勅語の精神を道徳教育にどう生かすかと、「議運」が真剣に「議運」発会の時に述べている。期待したい、と思うと共に、GHQの日本弱体化政策から遡って考えると、時の動きを感じ、真の日本は戦後七十年から新たに始まると、心が躍動してくる。
 松風塾創立六十年・松風塾高校開校四十周年記念式典を終えた今、創立者田澤康三郎先生が開塾開校した素志・精神をしっかりと受け取め、日本の教育の正常化の為に初心に帰って努めていきたいと心に期し、筆を置く。
                                 (平成27年3月1日号)