「復興の狼煙(のろし)」ポスターから被災者の真誠を聞く
                                    
  もう大部前になるが、TBSの「みのもんたの朝ズバッ」で、「復興の狼煙」ポスターが紹介された。ゲストの一人に元巨人エースで野球解説者の槙原寛己さんが出演していた。
ポスターには、東日本大震災の被災地・釜石と大槌の被災者が瓦礫の前に立ち、撮影されていた。そして、写真に写った被災者の思いが十一文字にコピーされていた。
 そのポスターがテレビの画面に大きく映し出されたとき、思わず引き込まれてしまった。
 番組は、ポスターに映された被災者を取材し、復興に懸ける思い伝えた。出演のゲストは、彼らの姿に涙していた。
  「復興の狼煙」ポスターは、次のような経緯で生まれた。
盛岡のフリーカメラマン馬場龍一郎さんは、被災者のために「何かできないか」という思いに駆られ、気がついたら釜石に向かっていた。釜石には、同じ思いで盛岡から来ていた小さな広告会社を営んでいる男がいた。奇しくもその二人は、瓦礫と化した街の中で出会った。二人は、申し合わせたかのように行動を共にし、カメラマンは、瓦礫となった街を背景に、その地の被災者をカメラに納め続けた。そして彼らの今の心境を聴き、その言葉をポスターのコピーにした。
  被災者たちは、無惨にも変わり果てた瓦礫の街の中に立ちながら、現実に屈することなく這い上がり、前を向いて歩き始めていた。その姿に二人は、心を振るわせ、感動した。
  盛岡の二人は、「私たちの思いを伝えて欲しい」という釜石の被災者の人たちの切実な願いに触れた時、自分たちで出来ることを模索し、そして、見つけ、動き始めた。その心境を、「本当に釜石の人たちの思いを伝えられるだろうか、という大きな不安を抱きながらではあったが、動かずにはいられなかった」、と述べていた。
  年に一度といわれる大地震・大津波に遭遇した被災者の人たちは、すべてを津波に飲み込まれ、壊滅状態の真っただ中に立たされた。しかし、彼らは、そのどん底から這い上がり、魂の叫びを発しながら、必死で新たな人生に向かって胎動し始めたのだ。「なめんなよ、釜石人を」と、言いながら。
釜石で出会った盛岡の二人は、この被災者の魂の叫びをポスターにしようと決意した。写真はカメラマン、印刷は広告会社の彼がすることにした。彼らの這い蹲ってでも生き、消えた町を、壊滅した自分たちの生活を、復興させるぞと動きはじめた被災者の姿を、その声を、多くの人たちに伝えていかねばならないという使命感に奮い立たされたのだ。それが、「自分でもできること」だった。
二人は、「自分でもできること」に無我夢中で取り組んだ。それが、「復興の狼煙」ポスターとなった。
みのもんたさんが「朝ズバッ」で紹介したポスターのコピー「心まで壊されてたまるか」は、真っ直ぐに心に響いてきた。胸が込み上げられた。
  「諦めるな、と帆立が言う」とのコピーと共に、被災者が帆立の養殖に取り組んでいこうとしている姿が映像で流れた時、胸がジーンと熱くなった。「しおれちゃ男がすたる」というコピーと共に映し出された被災者の姿からは、這い上がっていこうとする思いを腹の底から発した言葉だと感じ、こちらの方が勇気づけられた。コピー「前よりいい町にしてやる」という言葉が紹介されたとき、「頑張れ、頑張れ」と、涙と共に自然にテレビに向かって声を掛けていた。
  「野球がしたいです。神様」と野球道具を流されてしまった中学三年生のコピーは、本人が真剣に瓦礫の中でバットスイングしている姿と共に映し出され、ゲストの槙原さんは、その野球少年のひたむきな姿に思わず嗚咽し、顔を両手で覆ってしまった。その様子がそのまま画面に映されたとき、テレビを見ている方も涙滂沱となった。
  釜石の被災者のポスターは、十八種類製作され、そのどのポスターにも共通して「 一緒に悲しむことよりも、あなたの仕事を一生懸命やってほしい。それが沿岸を、岩手を元気にする力になると思うから。」との文言が印刷されている。心に染みた。そして、一枚一枚に、その被災者当事者の声がコピーされていた。大槌の被災者のポスターは、十枚であった。
  生徒たちにも、朝会でこのことを話題にし、「今できること、やらねばならないことを一生懸命やろう。それが、被災地に居る人たちへの元気へと繋がっていくのだから」と話させてもらった。
  生徒たちは、本部主催の街頭募金に二度参加し、青森市新町で被災者への義捐金協力を呼びかけた。また、本部神集閣では、全国の信者さんから寄せられた支援物資の仕分け作業を、週一度の割合で参加させて貰い、自分たちで出来ることを通して被災者支援活動をさせて貰った。
  越年感謝祭の学校紹介で信者さんの前で発表した生徒は、「東日本大震災被災者支援募金活動では、沢山の方が募金してくれました。暖かい言葉もかけていただきました。本当に印象に残る活動でした」と、御礼を述べた。高校時代のこうしたボランティア活動は、大人になってから大きく花を咲かせ、実を稔らせ、社会を浄化して一人となっていくであろうと期待された。
  東日本大震災は、今を生きている日本人は、決して忘れてはなるまい。そして、「あなたの仕事を一生懸命やってほしい。それが沿岸を、岩手を元気にする力になると思うから」との被災者からの声を、日々の生活の態度としたい。
 今自分でできることを、真剣に、倦むことなく続けていくことにしよう。
 大和山教主・大和松園先生は、教団の支援活動の決意を、「被災者がもう大丈夫です、と言うまで続けていく」と仰られている。松風塾も、その後方で、できることをさせていただきたいと思う。共に生きる日本の歩みのために。   
                       (平成23年12月15日号)