東京裁判の虚構性  
 ―今こそ、敗戦後遺症からの脱却を―

  米軍は、昭和二十年八月六日に広島へ、九日に長崎へ、それぞれ原爆を投下し、無辜の民二十万近くを、一瞬にして殺しました。
   昭和天皇は、八月十五日、終戦の詔勅をラジオで全国民に告げました。
   九月二日には、東京湾の米戦艦ミズーリ艦上で、日本降伏文書調印式が行われました。その時、マッカーサーは、嘉永六年、下田港にやってきた黒船四隻を率いるペリーが掲げた星条旗を米本国から取り寄せ、マストの上に飾ったのです。
   調印式は、ペリーから百年目、ようやく日本の占領を果たした、という実感を味わうが如く、この旗の下で行われたのでした。マッカーサーの「戦犯狩り」は、それから始まりました。
  BC級戦犯の軍事法廷は、米、英、仏、豪、蘭、比、中国の七カ国によって、東南アジア、西太平洋、中国の各地に四十九カ所設置され、五千七百名が起訴されました。そして、九百一名が処刑され、他にも裁判中もしくは判決後に、病死、自決、事故死した人は百五十三名で、計千五十四名が死亡しました。
   昭和二十一年五月三日には、東京・市ヶ谷の旧士官学校で「東京裁判」が開廷され、二十三年十一月十二日まで行われました。そして、A級戦犯として二十八名が提訴され、そのうち東条英機等七名が絞首刑にされました。
  GHQがA級戦犯として二十八名を被告として発表したのは、昭和天皇誕生日の四月二十九日でした。死刑を執行したのは、当時の皇太子(現天皇陛下)殿下の誕生日である十二月二十三日朝未明でした。また、B級戦犯として起訴された日米開戦時のフィリピン攻略軍の司令官であった本間雅晴中将の銃殺刑が宣告されたのは昭和二十一年二月十一日の紀元節で、処刑されたのが同年四月三日の神武天皇祭でした。
   これらのことから、日本に対する復讐と見せしめのために「戦犯狩り」を始め、連合国戦争犯罪法廷が国内外で行われたということが伺われます。報復と復讐による戦争犯罪者の摘発だということが、ひしひしと伝わってくる思いです。
   東京裁判では、弁護側の資料の大部分が却下されました。検察側の証拠は「通例なら伝聞証拠として却下されうるような材料」でも受理されたそうです。
  そして、南京大虐殺がでっち上げられたました。
  判事は、戦勝国のうちから米、英、仏、中、ソ、蘭、豪、カナダ、ニュージランドの他に、戦勝への貢献でインド、比を加えた十一カ国から一人ずつ任命されました。裁判長には、豪のウェップ判事が選ばれました。
   こうした判事によって開廷される裁判は、戦勝国が敗戦国を裁くということで、文明史に無い裁判だと言われています。
   判事の一人だったインドのパール判事は、こうした裁判を、自らの判決文で「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が虚偽からその仮面をはぎとったあかつきには、そのときこそ正義の女神は、そのはかりを平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するだろう」と、糾弾しています。 
   昭和二十年十二月十五日、神道指令が発表され、神社への国家補助のすべてが禁止され、学校教育から神話も教育勅語も廃止されてしまいました。  大東亜戦争は、太平洋戦争と呼称せよとの指令も出されました。
   戦争に協力したということで、二十一万の公職者も追放されました
憲法の草案は、マッカーサー私案が指示された昭和二十一年二月三日から十二日までの十日間で、GHQ民政局によって作成され、それがほぼ同じ内容で日本国憲法として国会で成立させられたことは、前述した通りです。   日本大学の学生だった頃、授業で教授から「米軍に銃剣を突きつけられ成立させられたのが今の日本国憲法だ」だと聞いて、憤ったことがまだ私の記憶に新しいです。何としても、日本は、東京裁判の呪縛から抜け出し、皇紀二六六六年という歴史と伝統を持つ独立国家としての誇りを持って、国の歩みを始めなくてはならないと思います。
    アメリカの日本占領政策に対する方針は、昭和二十年九月二十二日に「降伏後におけるアメリカの初期の対日方針」に発表されてあります。それによれば、占領の目的は、日本が「再びアメリカの脅威となり、また、世界の平和及び安全の脅威とならざること」、そして、「他国家の権利を尊重し、国際連合憲章の理想と原則に示されたアメリカの目的を支持すべき平和的かつ責任ある政府を究極において樹立すること」で、この二つが占領政策のねらいとされたのです。その為に、日本を武装解除し、民主主義制度を確立させたのです。つまり、この方針に基づいて、憲法も制定され、法律も、行政の仕組みも、学校教育も、生活様式も、家族制度も、価値観も、全てが改造されてしまいました。
   戦後六十年を経、その制度疲労があらゆる所に現れ、ひずみとなって日本を蝕んでいるように感じます。家庭の崩壊、そこから来る少年犯罪の増発と凶悪化、全ては金次第という金権主義による社会的犯罪の増発、物質万能主義的価値観の蔓延化、モラルの崩壊と人間性喪失現象、愛国心の喪失と公共心の欠落、挙げればきりがないように思えます。
    ここらで戦後後遺症から脱皮し、東京裁判史観の呪縛を解き、歴史的伝統の上に立った本来の日本人の育成に努めなければ、日本の将来が心配です。二十一世紀は、日本再生に着手しつつ、アジアと世界の平和に貢献する日本国としたいものです。