その3    マッカーサーノートと日本国憲法の成立経緯

   最後に、日本国憲法の成立経緯を簡単に説明してみます。
    昭和二十一年二月三日、マッカーサーは、GHQ民政局へ日本の憲法草案を作りを命じました。そして、十日間で、日本国憲法の草案は、作成されました。
   マッカーサーは、憲法草案作成に当たって、次の三点を提示しました。
 一.天皇は国家元首であり、それは世襲によるもので、職務と権限は憲法によって規制される。
 二.国家の主権的権利としての戦争を放棄する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の    安全を保持するための手段としてのそれも放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつあ    る崇高な理想に委ねる。
    いかなる日本陸海空軍も決して許されないし、いかなる交戦者の権利も日本軍にはあたえられない。
 三.日本の封建制度は廃止する。  
   
  一.の天皇に関しての草案は、象徴天皇として成文化されました。
  二.の戦争放棄については、国の主権としての戦争を廃止し、紛争解決および自己の安全を保持するための手段としての戦争も放棄するというのは、一部修正され、成文化されました。
  これについては、この後に説明します。
  三.の封建制度の廃止については、民主主義国家となることによって、これまでの貴族制が廃止され、成文化されました。
  これをマッカーサーノートといいます。
  そして、GHQ民政局は、昭和二十一年二月十三日、日本に憲法草案を提示しました。その時、「受け入れなければ天皇の身を保証できない」(ホイットニー談)との脅迫があったとも言われています。
  さて、二つ目の「国の主権的権利としての戦争を廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、および自己の安全を保持するための手段としてのそれも放棄する。いかなる日本陸海空軍も許されない」という内容は、一部修正されて日本国憲法第九条として成立しました。その制定には、次のような三つの過程がありました。。
  一つは、マッカーサーノートによって示された私案の修正です。
 民政局次長のチャールズ・ケーディスは、マッカーサー私案の「自己安全保持のための手段としての戦争を放棄する」を削除しました。それが九条第一項となりました。つまり、次のようになったわけです。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、  国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を  解決する手段としては、永久にこれを放棄する
  二つは、芦田修正です。
  芦田修正とは、九条第二項に「前項の目的を達成するため」という語句を入れたことです。前項の目的とは、「国際紛争を解決する手段として」の戦争のことです。
  つまり、「自己の安全を保持するのための手段としての戦争」は、当然のことであるとし、自衛のための戦争は否定されていないと解釈したわけです。ですから、そのための陸海空軍の戦力を保持することは、当然なことです。憲法第九条では、自衛戦争の放棄はしていないということです。
 あくまでも、「国際紛争を解決する手段として」の武力行使を放棄するということで、次のように成文化されたのです。
  二 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しな  い。国の交戦権は、これを認めない。
  三つは、極東委員会から文民条項の導入がされたことです。
  GHQの上部団体である連合国で編成された極東委員会は、日本国憲法第六十六条二項に「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなれければならない」という条文を入れさせました。
  非武装であればこの条文は必要なかったのですが、憲法第九条が自衛のための戦力を認めたものとして解釈しましたから、極東委員会から草案作成の最後の段階で、この一文が入れられたのです。つまり、軍部の台頭を防ぐために、文民による軍隊の指揮系統をここで明記したわけです。
  これらを盛り込んだ最終草案をマッカーサーは認めましたので、憲法第九条のマッカーサーノートで示された私案は、自分でも行き過ぎた案であったと、提示したあとに考えたのであろう、と指摘されています。