その一 占領政策のねらい

   昭和二十年八月十四日、日本は、ポツダム宣言を受諾し、十五日に天皇陛下の玉音放送で、全国民にラジオを通じてそれが知らされました。その内容は、「全日本軍隊の無条件降伏」を求めたものでした。
連合国の対日占領政策は、実質的にアメリカの対日方針によって実施されました。アメリカの方針は、国務省と陸海の両軍が共同作成し、それをトルーマン大統領が承認し、進められました。対日占領政策の方針は、同二十年九月二十二日に発表された「降伏後におけるアメリカの初期の対日方針」の中に、次のように示されました。
  一.占領の目的は、日本が再びアメリカの脅威となり、また世界の平和及び  安全の脅威とならないようにす     ること。
  二.他国家の権利を尊重し、国際連合憲章の理想と原則に示されたアメリカ  の目的を支持すべき、平和的     かつ責任ある政府を究極において樹立する  こと。

   日本の占領政策は、この方針に基づいて実施され、具体的なねらいが「日本の武装解除並びに非軍国主義化(非軍事化と民主主義制度の確立)」に置かれました。
戦後の日本の占領政策は、これを基本として東京裁判、日本国憲法制定等の占領政策が推し進められていったのです。
   『中央公論』平成十七年二月号の特集に「国家の基本条件再整備のためにー『日本』を否定した日本国憲法の問題ー」というレポートが掲載されました。
  著者は八木秀次・高崎経済大学助教授で、GHQ民政局が日本国憲法の草案を作成するにあたって考えたことを記していました。
  GHQ民政局では、リンカーンの誕生日の二月十二日に草案を示し、ワシントンの誕生日の二月二十二日に草案を確定したいと望んでいたようです。そして、「日本人にとって聖なる日は、血塗られた日にされようとしていた」というのです。
  また、極東軍事裁判は、昭和二十一年から始まりましたが、その起訴状を裁判所に提出したのが昭和天皇誕生日の四月二十九日で、A級戦犯とされた七名が絞首刑にされたのが昭和二十三年十二月二十三日朝未明で、当時、皇太子殿下であった今上陛下の誕生日でした。
   この一連の考え方に対して八木教授は、「アメリカ占領軍は、日本からその歴史を奪い、かわりに自分たちの歴史を日本に押しつけようとしていた」と指摘しています。
  連合軍総司令部・GHQの占領政策の目的は、二度と再び日本がアメリカと戦えないようにすることで、そのためのシステムを作り、精神構造もそのように改造することにあったというのです。
  そのために、日本国民に「お前の国は悪だ」と思い込ませるために、明治から、特に満州事変から終戦までの日本の歩みは、アジアの国々に迷惑をかけた悪い国であったという罪悪感を植え付けさせる政策を推進しました。
  そして、日本は再び軍隊を持たず、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という意識に導くことが、GHQの憲法草案の基本であったと記しています。
   もちろん、戦後の歩みの中で、「諸国民の公正と信義に信頼して」日本の安全が保持されてきたことは一度もありませんし、これからもないであろうと思います。これは、北朝鮮の拉致事件、韓国との竹島問題、中国との尖閣諸島問題などでも明らかです。
    日本の憲法は、歴史の連続性を否定し、過去を否定した内容になっているとも指摘しています。例えば、憲法前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」と記されていますが、この箇所は、明治以降の日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変、大東亜戦争のことを指しており、しかも、この前文で自国の歴史・過去を否定する内容を含ませていると言及しているのです。そして、このような国家の歴史的歩みを否定する憲法を持つ国は、世界に前例がない、とも言い切っています。